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#49

“Athlete” 高田千明(パラ陸上・走幅跳)
“With” 大森盛一(コーラー兼コーチ)

2016年8月に放送した、パラ陸上で走幅跳・視覚障がいクラスに挑む高田千明(35)。
去年11月、ドバイで開催された世界選手権で、東京パラリンピック出場が内定した。

リオパラリンピックでは8位に入賞するものの、世界との差を痛感した高田。東京でメダル獲得という夢を掲げ、どんな取り組みを行ってきたのか?また、延期となってしまった東京パラリンピックへの思いなど、彼女の今に迫る。

高田は、元々100mを専門とする選手だった。2008年の北京、2012年のロンドンパラリンピックでは代表に落選。その後、走幅跳へ転向した。すぐに頭角を現した高田は、2016年には日本記録を樹立。
リオで念願のパラリンピック出場を決め、8位入賞を果たした。

高田のパラリンピック出場の裏には、一人の人物の支えがあった。
それが、コーラーであり、コーチを務める大森盛一(しげかず)だ。
コーラーとは、視覚障がい者が走り幅跳びをする際のいわばガイド役。目の見えない選手に代わり、手拍子と声で助走や跳躍のタイミングを知らせる。
元オリンピック選手(400m)でもある大森は、高田が100m専門の時代から指導を続けてきたコーチでもある。
高田が走幅跳に転向したのも、大森のアドバイスがきっかけだった。

リオでパラリンピック出場を決めたもののメダルに届かなかった高田と大森は、走り幅跳びの元日本代表・井村久美子に教えを乞う。世界との差を埋めるべく取り組み続けた練習とは!?

世界に挑む高田には、心の支えとなる人物がいる。
聴覚障がい者であり、互いの障害を補い合うようにしてきた夫の裕士さん。そして、二人の間に生まれた息子の
諭樹(さとき)くんだ。健常者である諭樹くんが、高田の目、裕士さんの耳となり2人を支えている。

2016年取材時、7歳だった諭樹(さとき)くんは、現在11歳(小学6年生)。
「息子がいるから頑張れる。息子に金メダルをかけてあげたい。」

いくつもの絆を力に変え、アスリートとして、母として、世界の頂を目指す高田の今を伝える。


高田千明(たかだ・ちあき)※写真左

ほけんの窓口グループ株式会社
1984年10月14日生まれ。
先天性の弱視ながら、幼いころから走るのが好きで陸上の選手として健常者の大会にも出場。徐々に視力が低下し、18歳の頃、全盲に。その後、21歳でパラ陸上を本格的に始めた。
2016年 リオパラリンピック8位
2019年 世界パラ陸上競技選手権大会4位(東京パラリンピック出場内定)

大森盛一(おおもり・しげかず)※写真右

1972年7月9日生まれ。
1992年バルセロナオリンピック 4×400m出場
1996年アトランタオリンピック 400m・4×400m出場
2006年から高田を指導。
選手引退後は指導者として活動。高田のコーラー兼コーチを務める。