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#14

謎の世界遺産 アンコールワット 巨大遺跡誕生の秘密に迫る!

アンコール・ワット。フランスの探検家アンリ・ムオにより19世紀に初めて詳細に報告され、世界を驚愕させました。東南アジア最大の石造伽藍で、広さは南北に1,300メートル、東西に1,500メートル、幅190メートルの濠で囲まれ、回廊の壁面は精緻なレリーフで埋め尽くされた世界屈指の大寺院。高さ65メートル位の中央祠堂が世界の中心である須弥山(しゅみせん)を模し、周壁がヒマラヤの霊峰を、そして環濠は深く無限な大海を象徴するヒンドゥー教の壮大な宇宙観を基に、スールヤヴァルマン2世が30年以上もの年月をかけ建立しました。

アンコール・ワットには、今も多くの謎が隠されています。その最大の謎が、これほどの巨大な石造伽藍を、何故カンボジアの内陸部に作ることができたのか、その謎に迫ります。アンコール・ワットはクメール人たちの文明であるアンコール王朝の最盛期に作られました。アンコール地方には、9世紀以降、都城と寺院と王宮が判明している建造物が26名の王たちによって次々に造営されたのです。それはまさに、インドシナ半島に君臨した一大帝国、奇跡の文明だったのです。

巨大王国を支えたもの、それは巧みに設計された水路とバライ(貯水池)からなる灌漑システムでした。アンコール王朝発祥の聖地、クーレン山から流れ出る大量の水は、地形を生かし、何世紀にも渡り、数百キロもの水路や堤防を建設・補修することで乾期と雨期の水の問題をコントロールし、豊かなコメの収穫を可能にしてきたのです。アンコールは、水をコントロールし安定して食料(コメ)を確保することで繁栄を支えていたのです。そして当時の豊かで平和な暮らしの様子が、アンコールトムにあるバイヨンのレリーフに描かれています。

さらに、アンリ・ムオよりも200年以上前に、江戸時代の日本の武士がアンコール・ワットを訪れていた記しも残っていました。信仰の対象はヒンドゥー教から仏教に移りつつも土着の精霊信仰と融合したクメール独自の宗教観を表し、古より人々を魅了してきたアンコール・ワット。カンボジア国旗の中央にも象徴として描かれ、誰もが一度は訪れたい世界遺産(文化遺産)として、今も世界中の人気を集めています。