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旅・くらし
「DoTEフェス」
#308
暦に集う
2024年11月24日(日)よる8:54~9:00
木や森のよさを伝える 崎川哲一(さきかわ・てついち)33歳
未来につなぐエール
2024年11月24日(日)午後6:54~よる7:00
「オランダ船で巡る アジア歴史探訪クルーズ ~長崎・釜山・上海~」
#415
世界の船旅
2024年11月23日(土)午前9:30~9:55
報道・ドキュメンタリー
株式会社セコマ 代表取締役会長 丸谷智保 前編故郷の丘からの風景がくれた 「何とかなる」の思い
#85
トップの源流
2024年11月23日(土)よる6:00~6:30
世界一周クルーズで味わう食の楽しみ
#404
飛鳥物語II
2024年11月23日(土)午前9:55~10:00
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
地方創生DX「発信と体験」
~芸とおもてなしの文化~ あなたの知らない花街の魅力をご紹介します。
日本は、戦後つらい厳しい時代を経て復興そして高度成長期を迎え、やがて世界を牽引する国へ成長しました。そんな中、人々に生きる勇気と希望を与え、時には心を癒し慰めてもくれたのは数多くの「歌」でした。 この番組では、今も多くの人々の心に残る名曲を紡いだ作曲家、作詞家の波乱の人生にスポットを当て懐かしいヒット曲とその誕生秘話をお届けします。 今回は、希代のヒットメーカー作詞家:阿久悠(津軽海峡・冬景色、雨の慕情、ペッパー警部、また逢う日まで など)、作曲家:浜圭介(終着駅、舟唄、そして、神戸、石狩晩歌 ほか)、作詞家:岩谷時子(ウナ・セラ・デイ東京、愛の讃歌、君といつまでも、ほんきかしら、男の子女の子 ほか)の三人をクローズアップします。名曲を紡いだ三人の苦難の人生で「人生を変えた出会いとは?!」 また、「人生を変えた歌とは?! 」なども探ります。
阿久悠
岩谷時子
浜圭介
〈語り〉 村上弘明 〈インタビュー〉 八代亜紀、美川憲一、加山雄三、奥村チヨ、小西良太郎、草野浩二 若草恵(作曲家・編曲家)、深田太郎(作曲家・阿久悠の長男)、新妻聖子 他
『時代を制したヒットメーカー』作詞家・阿久悠 シングル曲の生涯売上げ枚数:約7000万枚、レコード大賞3連覇など、前人未到の記録を誇る脅威のヒットメーカー、作詞家・阿久悠。 演歌からポップス、アイドルの歌まで手がけ、戦略的な歌づくりで歌謡界の常識を塗り替えました。既存の殻を次々に打ち破り、時代の先頭を走った作詞家人生。しかし、その裏には、数々の葛藤や辛い雌伏の時代があったのです。 ●遅れて現れた作詞家――グループサウンズ全盛期、同年代の若者が脚光を浴びる中、広告代理店社員として番組作りに励む。結婚を機に、放送作家を経て作詞の道へ。斬新な言葉選びで一気に頭角を現す。(「白い蝶のサンバ」「ざんげの値打ちもない」「また逢う日まで」など) ●故郷を持たない少年――敗戦で180度の価値転換を経験する。 少年時代は、淡路島で過ごし警察官の父は転勤が多く、友だちと「別れが辛くならない程度」に付き合うこととなった。 また肺結核に罹り「激せず、穏やかに暮らす」よう命じられた。人や物と距離を置いて接することの多い少年時代。この時出会った歌は戦死した兄の形見の「湖畔の 宿」だった。 ●「スター誕生」が変えたもの――伝説の番組に企画者・審査員として参加。新しいアイドルの登竜門を築き、ピンク・レディーのたくさんの歌で社会現象を生む。昭和歌謡界のトップランナー作詞家:阿久悠の心理的なライバルは、美空ひばり?!(「せんせい」「ペッパー警部」「舟唄」「雨の慕情」「津軽海峡・冬景色」など) ●小説家へ、10年の遠回り――作詞家として半年の休筆を宣言。小説「瀬戸内少年野球団」は映画化が成功するも、直木賞には届かず。 栄光の生涯に見え隠れするほろ苦いもの。晩年、腎臓ガンとの闘病生活を克明に書き残した。(「雨の慕情」「熱き心に」「時代おくれ」など) 戦略的な作詞家と評されながら、阿久悠が紡ぐ詞には多くの人々の「心」を射止めるものがあります。 多くの人の心を癒し、大衆に熱いメッセージを送り続けた作詞家の祈りの「歌」が今夜再び蘇ります。 『日本の歌謡史にポップスの花を咲かせた作詞家』岩谷時子 女性作詞家の先駆者として、それまでの多くの男性作詞家と一味違った着眼と発想で、たおやかで洗練された作品世界を築いた岩谷時子。 そして、伝説の歌姫・越路吹雪のマネージャーというもう一つの顔。 幅広い創作活動と、愛するアーティストへの献身を両立させた、岩谷の人生と作品に迫ります。 ●「和製ポップスの生みの親」 女性の視点でトップの作詞家に――いずみたく、宮川泰らとともに、成し遂げた大ヒットの秘密とは(「恋のバカンス」「夜明けのうた」「恋の季節」など) ●「愛と勇気の若大将」 加山雄三との出会い――大スター加山雄三が、作曲家・弾厚作として大成したウラには? 岩谷が果たした役割とは(「君といつまでも」「お嫁においで」など) ●「貧しくも愛ある家庭から宝塚へ」 岩谷時子を育んだもの両親――愛されて育った岩谷が、感性を磨いてきた道程をたどる。やがて、宝塚の編集部で「原石」のような少女に出会う。 ●「本業はマネージャーです」 伝説の歌姫・越路吹雪――トップスター越路が上京する際、宝塚幹部からお付きを命じられた岩谷。越路のためにシャンソンを翻訳したのが千数百曲に及ぶ「作詞業」のスタートだった。(「愛の讃歌」「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」など) ●「命を支えたボイスメッセージ」 悲劇の歌姫・本田美奈子.――越路亡き後、初めて「愛の讃歌」の封印を解かせた本田美奈子.。数奇な運命の糸で結ばれた二人は、同じ病院で励まし合いながら、命の危機と闘う戦友となった(「ミス・サイゴン」「アメイジング・グレース」など) 岩谷時子の生き様は、後の女性アーティストや多くの日本人に影響を与えました。思い出深い名曲とともに、愛と優しさにあふれた番組にしたいと考えます。
『どん底から這い上がった日本を代表するヒットメーカー』作曲家・浜圭介 「終着駅」「哀しみ本線日本海」「舟唄」「雨の慕情」…数々の昭和の名曲を生んだ作曲家:浜圭介。人々の心を潤し、人の心を震わせる歌、いくつもの傑作を世に送り続ける浜圭介。 浜圭介がヒットメーカーと呼ばれるまでには、人知れず多くの試練がありました。歌手を目指した青年が大作曲家に!その波乱の道のりと曲作りの秘密に迫ります?! ●歌に目覚めた少年――終戦直後、旧満州の収容所で産声をあげた浜。幼少期は青森、北海道と凍てつく町を転々とする。15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始め人前で歌を披露。歌う喜びに目覚めた浜は、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京する。 ●一度目の挫折――上京から2年、ようやくチャンスをつかんで牧宏次の芸名でデビューするも鳴かず飛ばずで5年が過ぎ、歌を諦め青森へ。屋台で懸命に働く浜。そんな中偶然見も知らぬ女性から聞いた彼女の惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんな道」だった。(「おんな道」) ●再起から奈落の底へ――一度は捨てた歌手の道を再び歩み出し、「おんな道」は30万枚を超えるヒットに。しかし神様は、またしても浜を見放す。まち先の見えない日々に陥ってしまう。浜はまたもや歌手を諦める。そして…。 ●ヒットメーカーの誕生――60年代にカヴァーソングで一世を風靡した漣健児にアメリカ旅行に誘われる。漣との旅行で運命を変える出来事が。何気なく手にしたギター。ほとばしるようにメロディが紡がれ、大ヒット曲「終着駅」が誕生。のちに妻となる奥村チヨが歌いミリオンセラーに。(「終着駅」) ●なかにし礼を救った曲――作曲家として甦った浜は「そして、神戸」「雨」とヒットを連発。 そこになかにし礼から詞が届く。作詞に行き詰る中で生まれた「石狩挽歌」だった。不遇な幼少期を重ねた詞に、浜は壮大なメロディを付けて大ヒット。なかにしに日本作詞大賞をもたらした。(「そして、神戸」「雨」「石狩挽歌」など) ●阿久悠との関係――順調に作曲家の道を歩み続けた浜に、スランプが訪れる。まったく曲が書けない日々。それを救ったのは「街の灯り」でタッグを組んだ阿久の詞だった。もがき苦しむなか出会った「舟唄」に必死で曲をつけた歌は八代亜紀の声に乗り、空前のヒットとなる。(「街の灯り」「舟唄」など) ●スランプからの蘇生――翌年、阿久悠、八代亜紀と手がけた「雨の慕情」はレコード大賞を獲得。そして荒木とよひさの作詞で森昌子が歌った「哀しみ本線日本海」など、人々の心をとらえる歌を連発。押しも押されぬヒットメーカーとなり、浜圭介は国民的作曲家へと羽ばたいていく。(「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」など) ●阿久から受け取った昭和歌謡のバトン――平成11年、浜圭介と阿久悠は「昭和最後の秋のこと」を発表。歌手も決めず、ヒットも狙わず、二人がただ書きたい曲だった。阿久の逝去後、浜がテレビで熱唱したある日、阿久の妻から一通の手紙が。綴られていた言葉に浜は奮い立つ…。 試練多い浜圭介がたどり着いた浜圭介メロディ、作曲家人生とは…?
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日本は、戦後つらい厳しい時代を経て復興そして高度成長期を迎え、やがて世界を牽引する国へ成長しました。そんな中、人々に生きる勇気と希望を与え、時には心を癒し慰めてもくれたのは数多くの「歌」でした。
この番組では、今も多くの人々の心に残る名曲を紡いだ作曲家、作詞家の波乱の人生にスポットを当て懐かしいヒット曲とその誕生秘話をお届けします。
今回は、希代のヒットメーカー作詞家:阿久悠(津軽海峡・冬景色、雨の慕情、ペッパー警部、また逢う日まで など)、作曲家:浜圭介(終着駅、舟唄、そして、神戸、石狩晩歌 ほか)、作詞家:岩谷時子(ウナ・セラ・デイ東京、愛の讃歌、君といつまでも、ほんきかしら、男の子女の子 ほか)の三人をクローズアップします。名曲を紡いだ三人の苦難の人生で「人生を変えた出会いとは?!」 また、「人生を変えた歌とは?! 」なども探ります。
阿久悠
岩谷時子
浜圭介
〈語り〉
村上弘明
〈インタビュー〉
八代亜紀、美川憲一、加山雄三、奥村チヨ、小西良太郎、草野浩二
若草恵(作曲家・編曲家)、深田太郎(作曲家・阿久悠の長男)、新妻聖子 他
『時代を制したヒットメーカー』作詞家・阿久悠
シングル曲の生涯売上げ枚数:約7000万枚、レコード大賞3連覇など、前人未到の記録を誇る脅威のヒットメーカー、作詞家・阿久悠。
演歌からポップス、アイドルの歌まで手がけ、戦略的な歌づくりで歌謡界の常識を塗り替えました。既存の殻を次々に打ち破り、時代の先頭を走った作詞家人生。しかし、その裏には、数々の葛藤や辛い雌伏の時代があったのです。
●遅れて現れた作詞家――グループサウンズ全盛期、同年代の若者が脚光を浴びる中、広告代理店社員として番組作りに励む。結婚を機に、放送作家を経て作詞の道へ。斬新な言葉選びで一気に頭角を現す。(「白い蝶のサンバ」「ざんげの値打ちもない」「また逢う日まで」など)
●故郷を持たない少年――敗戦で180度の価値転換を経験する。
少年時代は、淡路島で過ごし警察官の父は転勤が多く、友だちと「別れが辛くならない程度」に付き合うこととなった。
また肺結核に罹り「激せず、穏やかに暮らす」よう命じられた。人や物と距離を置いて接することの多い少年時代。この時出会った歌は戦死した兄の形見の「湖畔の 宿」だった。
●「スター誕生」が変えたもの――伝説の番組に企画者・審査員として参加。新しいアイドルの登竜門を築き、ピンク・レディーのたくさんの歌で社会現象を生む。昭和歌謡界のトップランナー作詞家:阿久悠の心理的なライバルは、美空ひばり?!(「せんせい」「ペッパー警部」「舟唄」「雨の慕情」「津軽海峡・冬景色」など)
●小説家へ、10年の遠回り――作詞家として半年の休筆を宣言。小説「瀬戸内少年野球団」は映画化が成功するも、直木賞には届かず。
栄光の生涯に見え隠れするほろ苦いもの。晩年、腎臓ガンとの闘病生活を克明に書き残した。(「雨の慕情」「熱き心に」「時代おくれ」など)
戦略的な作詞家と評されながら、阿久悠が紡ぐ詞には多くの人々の「心」を射止めるものがあります。
多くの人の心を癒し、大衆に熱いメッセージを送り続けた作詞家の祈りの「歌」が今夜再び蘇ります。
『日本の歌謡史にポップスの花を咲かせた作詞家』岩谷時子
女性作詞家の先駆者として、それまでの多くの男性作詞家と一味違った着眼と発想で、たおやかで洗練された作品世界を築いた岩谷時子。
そして、伝説の歌姫・越路吹雪のマネージャーというもう一つの顔。
幅広い創作活動と、愛するアーティストへの献身を両立させた、岩谷の人生と作品に迫ります。
●「和製ポップスの生みの親」 女性の視点でトップの作詞家に――いずみたく、宮川泰らとともに、成し遂げた大ヒットの秘密とは(「恋のバカンス」「夜明けのうた」「恋の季節」など)
●「愛と勇気の若大将」 加山雄三との出会い――大スター加山雄三が、作曲家・弾厚作として大成したウラには? 岩谷が果たした役割とは(「君といつまでも」「お嫁においで」など)
●「貧しくも愛ある家庭から宝塚へ」 岩谷時子を育んだもの両親――愛されて育った岩谷が、感性を磨いてきた道程をたどる。やがて、宝塚の編集部で「原石」のような少女に出会う。
●「本業はマネージャーです」 伝説の歌姫・越路吹雪――トップスター越路が上京する際、宝塚幹部からお付きを命じられた岩谷。越路のためにシャンソンを翻訳したのが千数百曲に及ぶ「作詞業」のスタートだった。(「愛の讃歌」「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」など)
●「命を支えたボイスメッセージ」 悲劇の歌姫・本田美奈子.――越路亡き後、初めて「愛の讃歌」の封印を解かせた本田美奈子.。数奇な運命の糸で結ばれた二人は、同じ病院で励まし合いながら、命の危機と闘う戦友となった(「ミス・サイゴン」「アメイジング・グレース」など)
岩谷時子の生き様は、後の女性アーティストや多くの日本人に影響を与えました。思い出深い名曲とともに、愛と優しさにあふれた番組にしたいと考えます。
『どん底から這い上がった日本を代表するヒットメーカー』作曲家・浜圭介
「終着駅」「哀しみ本線日本海」「舟唄」「雨の慕情」…数々の昭和の名曲を生んだ作曲家:浜圭介。人々の心を潤し、人の心を震わせる歌、いくつもの傑作を世に送り続ける浜圭介。
浜圭介がヒットメーカーと呼ばれるまでには、人知れず多くの試練がありました。歌手を目指した青年が大作曲家に!その波乱の道のりと曲作りの秘密に迫ります?!
●歌に目覚めた少年――終戦直後、旧満州の収容所で産声をあげた浜。幼少期は青森、北海道と凍てつく町を転々とする。15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始め人前で歌を披露。歌う喜びに目覚めた浜は、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京する。
●一度目の挫折――上京から2年、ようやくチャンスをつかんで牧宏次の芸名でデビューするも鳴かず飛ばずで5年が過ぎ、歌を諦め青森へ。屋台で懸命に働く浜。そんな中偶然見も知らぬ女性から聞いた彼女の惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんな道」だった。(「おんな道」)
●再起から奈落の底へ――一度は捨てた歌手の道を再び歩み出し、「おんな道」は30万枚を超えるヒットに。しかし神様は、またしても浜を見放す。まち先の見えない日々に陥ってしまう。浜はまたもや歌手を諦める。そして…。
●ヒットメーカーの誕生――60年代にカヴァーソングで一世を風靡した漣健児にアメリカ旅行に誘われる。漣との旅行で運命を変える出来事が。何気なく手にしたギター。ほとばしるようにメロディが紡がれ、大ヒット曲「終着駅」が誕生。のちに妻となる奥村チヨが歌いミリオンセラーに。(「終着駅」)
●なかにし礼を救った曲――作曲家として甦った浜は「そして、神戸」「雨」とヒットを連発。
そこになかにし礼から詞が届く。作詞に行き詰る中で生まれた「石狩挽歌」だった。不遇な幼少期を重ねた詞に、浜は壮大なメロディを付けて大ヒット。なかにしに日本作詞大賞をもたらした。(「そして、神戸」「雨」「石狩挽歌」など)
●阿久悠との関係――順調に作曲家の道を歩み続けた浜に、スランプが訪れる。まったく曲が書けない日々。それを救ったのは「街の灯り」でタッグを組んだ阿久の詞だった。もがき苦しむなか出会った「舟唄」に必死で曲をつけた歌は八代亜紀の声に乗り、空前のヒットとなる。(「街の灯り」「舟唄」など)
●スランプからの蘇生――翌年、阿久悠、八代亜紀と手がけた「雨の慕情」はレコード大賞を獲得。そして荒木とよひさの作詞で森昌子が歌った「哀しみ本線日本海」など、人々の心をとらえる歌を連発。押しも押されぬヒットメーカーとなり、浜圭介は国民的作曲家へと羽ばたいていく。(「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」など)
●阿久から受け取った昭和歌謡のバトン――平成11年、浜圭介と阿久悠は「昭和最後の秋のこと」を発表。歌手も決めず、ヒットも狙わず、二人がただ書きたい曲だった。阿久の逝去後、浜がテレビで熱唱したある日、阿久の妻から一通の手紙が。綴られていた言葉に浜は奮い立つ…。
試練多い浜圭介がたどり着いた浜圭介メロディ、作曲家人生とは…?