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童謡名作の旅
#115
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テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
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地方創生DX「発信と体験」
BS朝日が取り組む地方創生DX:「発信」と「体験」“知る人ぞ知る地方の魅力”にフォーカス
『命燃え尽きるまで声を振り絞った昭和歌謡の至宝』歌手・美空ひばり/島倉千代子 「真赤な太陽」「川の流れのように」(美空ひばり)、「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」(島倉千代子)など、数々の名曲で人々を潤し、生きる力を与えた歌謡界の女王たち。壮絶な半生からなる漆黒の影があったからこそ、2人は眩し過ぎるほどの光を放ったのかもしれません。
●天才少女と母のゆるぎない絆(美空)――幼い頃から類まれな歌唱力を発揮したきひばり。可能性を感じた母は、慰問活動、のど自慢出場、前座歌手としての地方巡業など様々な経験を積ませる。ひばりと母はまさに一心同体となり、数々の試練と向き合いながら成長してゆく。 ●不運と孤独に苛まれた少女時代(島倉)――7才のとき、疎開先の長野県松本市で左腕を負傷。切断が危ぶまれ、なんとか免れたものの不自由に。暗い影に覆われ、友達が一人もいなかった島倉はひばりの歌に出会い、光を得る。 ●波乱のスター街道(美空)――11歳でデビューした翌年、映画「悲しき口笛」で主演を果たし、主題歌も大ヒット。その後も映画と主題歌を大ヒットさせ、女優、歌手として国民的スターへ。 しかし、熱烈なファンから塩酸をかけられるなど、歌手生命を脅かす危機に見舞われる。 ●ひばりと同じ道へ(島倉)――コンクールでの優勝を機に16歳で「この世の花」でデビュー。半年で200万枚を売り上げる。1957年、「東京だョおっ母さん」が大ヒットし、紅白歌合戦に初出場を果たす。 ●栄光と病魔(美空)――「柔」「悲しい酒」「愛燦燦」など後世に残る名曲を発表するなか、1986年、重度の慢性肝炎、両側特発性大腿骨頭壊死症の病魔が襲う。のちに伝説となる東京ドームのコンサートを満身創痍のなか大成功させるが、終了後、救急車で会場を後にする。 ●不幸のデパート(島倉)――憧れて続けていたひばりとレコードを出し、順風満帆な歌手人生を歩み始めた島倉。しかし、ファンが投げたテープが両目に当たって失明の危機に。 その後も、離婚、借金など筆舌に尽くせぬ苦労の真っ只中で、名曲「人生いろいろ」が誕生する。 ●女王たちの絆(美空・島倉)――平成元年、ひばりは「川の流れのように」を発表。 が、体調は戻らず52歳で逝去。駆け付けた島倉は3日間、ひばりのそばから離れなかった。2013年、島倉は肝臓がんと闘いながら命がけで新曲を吹き込み、その3日後、ひばりの元へと旅立つ。
天才少女と呼ばれた美空ひばり。大ケガと大病を、ひばりの歌に救われた島倉千代子。いつしか二人は歌謡界の女王となり、悲劇や不幸のどん底から歌声を振り絞ってまばゆい輝きで人々を照らしました。 怒涛の歌謡史を生きた二人の軌跡を、昭和のヒット曲を織り交ぜながらお届けします。
〈インタビュー〉 加藤和也、徳光和夫、山田邦子、岸本加世子、他(予定)
『命燃え尽きるまで声を振り絞った昭和歌謡の至宝』歌手・美空ひばり/島倉千代子
「真赤な太陽」「川の流れのように」(美空ひばり)、「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」(島倉千代子)など、数々の名曲で人々を潤し、生きる力を与えた歌謡界の女王たち。壮絶な半生からなる漆黒の影があったからこそ、2人は眩し過ぎるほどの光を放ったのかもしれません。
●天才少女と母のゆるぎない絆(美空)――幼い頃から類まれな歌唱力を発揮したきひばり。可能性を感じた母は、慰問活動、のど自慢出場、前座歌手としての地方巡業など様々な経験を積ませる。ひばりと母はまさに一心同体となり、数々の試練と向き合いながら成長してゆく。
●不運と孤独に苛まれた少女時代(島倉)――7才のとき、疎開先の長野県松本市で左腕を負傷。切断が危ぶまれ、なんとか免れたものの不自由に。暗い影に覆われ、友達が一人もいなかった島倉はひばりの歌に出会い、光を得る。
●波乱のスター街道(美空)――11歳でデビューした翌年、映画「悲しき口笛」で主演を果たし、主題歌も大ヒット。その後も映画と主題歌を大ヒットさせ、女優、歌手として国民的スターへ。
しかし、熱烈なファンから塩酸をかけられるなど、歌手生命を脅かす危機に見舞われる。
●ひばりと同じ道へ(島倉)――コンクールでの優勝を機に16歳で「この世の花」でデビュー。半年で200万枚を売り上げる。1957年、「東京だョおっ母さん」が大ヒットし、紅白歌合戦に初出場を果たす。
●栄光と病魔(美空)――「柔」「悲しい酒」「愛燦燦」など後世に残る名曲を発表するなか、1986年、重度の慢性肝炎、両側特発性大腿骨頭壊死症の病魔が襲う。のちに伝説となる東京ドームのコンサートを満身創痍のなか大成功させるが、終了後、救急車で会場を後にする。
●不幸のデパート(島倉)――憧れて続けていたひばりとレコードを出し、順風満帆な歌手人生を歩み始めた島倉。しかし、ファンが投げたテープが両目に当たって失明の危機に。
その後も、離婚、借金など筆舌に尽くせぬ苦労の真っ只中で、名曲「人生いろいろ」が誕生する。
●女王たちの絆(美空・島倉)――平成元年、ひばりは「川の流れのように」を発表。
が、体調は戻らず52歳で逝去。駆け付けた島倉は3日間、ひばりのそばから離れなかった。2013年、島倉は肝臓がんと闘いながら命がけで新曲を吹き込み、その3日後、ひばりの元へと旅立つ。
天才少女と呼ばれた美空ひばり。大ケガと大病を、ひばりの歌に救われた島倉千代子。いつしか二人は歌謡界の女王となり、悲劇や不幸のどん底から歌声を振り絞ってまばゆい輝きで人々を照らしました。
怒涛の歌謡史を生きた二人の軌跡を、昭和のヒット曲を織り交ぜながらお届けします。
〈インタビュー〉
加藤和也、徳光和夫、山田邦子、岸本加世子、他(予定)