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#362

旧登米高等尋常小学校校舎 I II

明治21年(1888)竣工。設計を手がけた大工棟梁・山添喜三郎は、日本初参加となるウィーン万博(1873)で日本館をつくり、ヨーロッパ建築を見聞、のちに宮城県技師となる人物。建物は木造2階建、平面はコの字形で教室前面には吹き抜けで欄干を持つ廊下が付く。正面中央にバルコニー式の玄関が突き出ている。初期の擬洋風とは違った和洋折衷の様式をもっており、明治時代の学校建築の流れを知る上で貴重な遺構。