スペシャルアーカイブ一覧

#119

熊谷6人殺害で死刑破棄「この国の司法は間違っている」【=記者会見詳報=】

『BS朝日 日曜スクープ』に出演した、熊谷6人連続殺人事件の遺族が2020年3月26日、日本記者クラブで記者会見しました。遺族は、死刑を破棄した高裁判決、そして、上告を見送った検察を批判し、「この国の司法は間違っている」と訴えました。会見の主な内容をお伝えします。

⇒会見の動画は日本記者クラブのホームページでご覧いただけます。
裁判員裁判を問う ~熊谷連続殺人事件の遺族、弁護士 会見~
⇒2020年3月29日放送『熊谷6人殺害 遺族激白「司法は間違っている」』はこちら
テレ朝news
YouTube ANNnewsCH
⇒2019年12月22日『BS朝日 日曜スクープ』遺族の加藤さんスタジオ出演はこちら
熊谷6人殺害で死刑破棄 遺族が出演「司法にも心を殺されました」
⇒2020年9月20日放送『熊谷6人殺害から5年 遺族「苦しみは死ぬまで・・・」』はこちら
テレ朝news
YouTube ANNnewsCH
⇒2021年5月2日放送「熊谷6人殺害「証拠品」返却 今なお訴え続ける理由」はこちら
熊谷6人殺害「証拠品」返却 今なお訴え続ける理由

■「被告は被害妄想を抱いていたが・・・」

日本記者クラブでの記者会見では、妻の美和子さんと娘の美咲さん、春花さんの命を奪われた加藤さん、そして、加藤さんが被害者参加制度で被告の裁判に立ち会う際に代理人を務めた、髙橋正人、上谷さくら両弁護士が登壇しました。会見の冒頭、髙橋正人弁護士が事件の概要と判決の内容を説明しました。

髙橋正人弁護士

きょうは、お集まりいただき、ありがとうございます。私のほうから、まず事件の概要、判決の概要、第一審、控訴審を述べて、被害者参加弁護士であった私たちの法律的な見解を最後に述べさせていただいたいと思います。

ジョナタンは一審で死刑になりましたが、控訴審は心神耗弱ということで無期懲役に減刑されています。この心神耗弱かどうか、これだけが争点でありました。ジョナタンが「職場の関係者や同僚から、とりわけ黒いスーツを着た男らに危害を加えられるかもしれない、警察さえもグルになっている」という被害妄想を抱いていたことは一審も控訴審も、弁護人も検察官も争いのないところでした。全員、訴訟関係者が一致した見解でした。

<以下、発言内容の要旨>

[犯行経緯]

9月12日

当該被害妄想から職場を逃げ出す。

9月13日

森田宅への正当な理由のなく敷地内に侵入。森田氏に見つかり、「けいさつ、けいさつ」「おかね、おかね」などと発言する。森田氏が、隣の消防署に通報。駆けつけた消防署員が一旦、消防署に連れてくる。その際、「かながわ、ねえさん、あぶない」「おかねない」などと発言するとともに、「電車内に黒いスーツを着た悪い人がいる」と述べる。なお、起訴前鑑定では、「森田宅に向かう途中の電車内で乗客の様子がおかしいと感じ、警察に通報すべきと考えて、予定していた駅ではないところで下車した」と述べている。ただし、警察には通報していない。消防署員は、警察に通報すべき事案と判断して警察に通報。警察官が駆けつけ、熊谷警察署に任意同行される。その際、警察官に対しても、「スーツ、男いじめ」と言ったり、神奈川にいる姉に警察から電話して、「彼らはもう着いたのか。殺されるぞ」と発言した。ジョナタンは、警察官もグルなのかと妄想を広げたり、警察署内に止めてある覆面パトカーに不信感を抱いたり、刑事が変わったヘアスタイルをしてサングラスをかけて制服姿で手袋をしていることをおかしいと感じたりするなど、警察が追跡者とつながっていると妄想し、煙草を吸うため玄関に出たすきに、財布・携帯・パスポートなどすべての所持品を置いたまま、猛ダッシュで逃走。ただちに警察官が追跡するも見失う。その直後、熊谷警察署は、警察犬を動因して大規模捜索を始まるが捕まらない。その日の夕方、近くの小島宅に侵入し、見つかると、「かん」「かね」と言って、さらに逃走。さらに30分後、通行人の山口氏に、「かね、かね」とせびるが、「ない」と言われると、舌打ちをして、一旦立ち去ったが、その後、山口宅の敷地に入ったため、山口氏から声をかけられ、逃走。

9月14日

午後、田崎宅に窃盗目的で侵入し、田崎稔(夫)を、台所にあった藤原包丁で左胸部を数回、突き刺して殺害。しかし、ただちに逃走することなく、その場にとどまる。殺害から1時間後、帰宅した妻の田崎美佐枝の左胸部を数回、藤原包丁で突き刺して殺害。美佐枝が持参していた財布内から現金9000円だけを抜き取る。建物内であめ玉をなめたり、缶ビールを飲んだりするとともに、稔の死体に掛け毛布、美佐枝の死体にタオルケットを掛けて証拠隠滅を図る。また、自動車の鍵と美佐枝のスマートフォンをを奪って、車両で逃走。その際、美佐枝の友人に自動車に乗っているところを目撃される。車を発進させて、現場から270mのところで車を乗り捨て、スマートフォンの電源を切る。

9月15日

未明、ジョナタンは着替えをした状態で、コンビニに入り、買い物をしようとしたが、実際になにも買わずにコンビニを後にした。

9月15日~16日

白石宅に侵入し、1階に一人でいた白石和代の左側腹部を藤原包丁で数回刺して、殺害する。死体を1階の浴室に移動させたり、浴槽内に入れて蓋をかけたり、死体移動中に付着した床上の血痕を拭き取ったり、殺害現場の畳に付着した血痕の上にマットを置いたりして見えないようにして、罪証を隠滅した。さらに、白石和代のバック内にあった財布を物色し、1階にあった石鍋包丁を入手し、飲食に及んだ。一方、田崎宅で盗んだスマートフォンをトイレタンク内に投棄し、自動車の鍵2本を白石宅敷地内の池の中に投棄して、同様に罪証隠滅を図る。

9月16日

加藤宅に侵入し、加藤美和子の上胸部を藤原包丁で数回、突き刺して殺害。死体をクローゼット内に移動させ敷毛布をかけて隠滅。死体の移動の際に付着させて床上の血痕を目立たなくなるまで拭き取り、藤原包丁を隣の民家に敷地内に投棄して、罪証を隠滅。数時間後、帰宅した長女と次女(いずれも小学生)に対し、前頚部を石鍋包丁で、頚を突き刺すのではなく、横にまっすぐ頚を切り裂いて殺害。いずれも同じ手口。死体をウオーキングクローゼットに移動させて、各死体に敷パットをかぶせて隠す。また、寝室内の血痕の上に敷き布団を置いて隠す。長女の殺害前に、わいせつ行為に及び、精液を付着させたり、付着させたものをゴミ箱内に捨てた。その後、その場で、自動車の鍵2本を入手したり、飲食をしたりした。加藤宅の外観を確認していた警察に見つかり、警察官の説得に対し、「ポリス、やくざ」と言って抵抗し、手首を切る自傷行為に及んだ。意識朦朧とする中、二階の窓から転落して、頭部外傷の重傷を負い、逮捕される。

■完全責任能力を認めた1審判決

髙橋正人弁護士

[第1審判決内容]

1.被害妄想を認定。

2.責任能力

確かに、警察官も追跡者とつながっていてグルだと思ったからジョナタンは、熊谷警察署から逃走した。その際、所持品を全て置いていったしまったため追い詰められ、「犯罪を犯してでも金品を得ようと決意した」から、その意味では、本件犯行に妄想が間接的に影響している。

しかし、強盗殺害そのものは妄想に直接影響されたものではない。

① 各被害者の容姿と、追跡者の容姿が全く異なるため、「ジョナタンが被害者らを各妄想に基づく追跡者とみなして殺害した可能性は排斥できる」と明言。その上で、

② 「金銭に窮したジョナタンが手っ取り早く金品を得ようとする現実的な欲求に基づき、強盗の犯行を決意した動機は十分に了解可能」とし、

③ 殺害部位も「殺害目的にかなう部位を狙って攻撃を加えたものと認められ、確実に相手を死に至らしめる意図に出た攻撃」で、「家人に通報されたり捕まったりすることなく、何としてでも金品入手の目的を達しようとの思いから、進んでその障害となる存在を排除するべく稔の殺害を決意したというのが自然な流れである」とした。

④ また、田崎宅では、殺害前に台どころにあった藤原包丁を入手し、防御創がなく、争った形跡がなく、不意を突く形で、抵抗できなくなるまで、一気に攻撃している(強盗殺人の強固な故意)。

⑤「死体遺棄の態様も稚拙さ、ずさんさは見受けられず、死体を目につかない場所まで移動させて隠すなど、相応に手の込んだ態様」である。

⑥ 自動車の鍵やスマホを発見困難な場所に投棄し、血痕をかなり丁寧に拭き取り、血のついた着衣を着替えるなど、罪証隠滅に意を払う冷静さのみられる行動をとっている。加藤宅では、来訪者に気づいて玄関の鍵をかけている。

⑦ 自動車で逃走してすぐに乗り捨てた点については、自動車の乗り込んだところを美佐枝の友人に目撃されたことから、これを「使用し続けると検挙される危険を回避するためにすぐに乗り捨てたとみて取り立てて不合理ではなく、支離滅裂な行動とはいえない」

⑧ また、美佐枝の友人に「目撃された可能性のある上着を着替えた状態でコンビニに訪れている」

⑨ 加藤宅で、長女を「緊縛したり、性的行為に及んだりしている痕跡がある」点については、「重大犯罪を重ねた被告人がいわば開き直り、欲望を満たすためにより大胆な行為に及んだものと理解することができる」とした。

(結論)

「各犯行の前後を通じ、合目的的で全体としてまとまりのある行動をとっていた」

「3日間にわたり3世帯の民家に侵入して同種犯行を次々に繰り返したものであるが、犯行間に住宅街を移動する場面等もありながら重大な破綻を来すことなく、検挙されるまで金品入手の目的を達していることからも、各犯行の前後を通じて周囲の状況を認知して相応の判断を行い、合目的性を持った行動を取ることができたというべきである」

「罪証隠滅の意図に出た種々の行為をみると、自己の行為が悪いことで法に触れることは理解していた」

「本件各妄想が各犯行の反意形成に影響を与えたとの見方は可能であるものの、一方で、具体的な各犯行の動機という観点でみると、正常な精神機能の働きに基づく現実的なものとして説明することがいずれも可能であって、精神障害による病的体験の存在を介さずとも十分に了解可能なものである」

 として上で、「家人殺害の実行を含めて病気の影響はほとんどみられず、合目的的で全体としてまとまりのある行動をとっている」と結論し完全責任能力を認めた。

■「被害者にも上訴の権利を」

髙橋正人弁護士

[控訴審の判決内容]

責任能力を判断する上での「重要な要素」として次のものを掲げる

動機の了解可能性

妄想その他の病的体験を介さなければ了解できないものかどうか

その上で、「誤った意味づけをして各犯行に及んだ」と繰り返し述べ、その誤った意味づけとして以下のものを掲げる。

1.9月13日、電車内で移動中、幼い子供を含む家族連れなどの乗客の挙動に不審を感じ、急遽、下車して警察に通報しようと考えている。

2.熊谷警察署内で姉に電話したとき、電話の先に騒ぎ声がすることをもって、姉に追跡者が迫っていると誤った意味づけをしている。

3.警察車両や警察官の髪型を見て追跡者とつながっていると誤った意味づけをしている。

4.9月16日、加藤宅で捕まるときも、自分を取り囲んだ警察をヤクザだと誤った意味づけをしている。

他方、各犯行では、どのように「誤った意味づけ」をしたかについては、

1.殺された3件の被害者宅への「侵入」は、「妄想上の追跡者から逃れる目的と言える」と判示する。

⇒しかし、追跡者から逃れるため他人宅に侵入して一時的に避難したというのであれば、侵入した他人宅の他人に助けを求めれば良いのであり、わざわざ殺害する理由が説明できない。さらに、なぜ、殺害後、すぐにその場から逃げないのかについても説明がつかない。追跡者から逃れようと切羽詰まっているという誤った認識を前提とすれば、犯行後、その場で飲食などしている余裕はないはずである。

2.そして、6名に対する殺害行為そのものについては、「被害者に対して誤った意味づけをした」と抽象的に述べるだけで、それ以上の言及がない。

⇒ そもそも、容姿も異なり、性別も5名は女性であり、年齢も高齢者や小学生という弱者であって、従前のジョナタンの被害妄想の中身と全く一致しないのに、どのような誤った意味づけをしたのかについて、何も理由を述べていない。

3.極めつけは、加藤さんの長女に対する性的行為については、追跡者から危害を加えられるという被害妄想とは全く結びつかないのに、その点については、誤った意味づけをしたとも述べておらず、完全にスルーしている。

 そして、被害妄想が本件各犯行に及ぼした影響については、次のように述べる。

「そもそも、被告人は、本件各妄想がなければ出奔することはなかったし、熊谷警察署に戻れば財布等を取り戻すことはでき、援助してくれる親族もいたから、直ちに犯罪に及ばなければならない状況にはなかった。そして、本件各妄想によって認識していた内容を前提としても、必要なのは逃走に要する比較的少額の現金や飲食等であったはずであり、繰り返し殺人を犯してまでこれを実現しようとすることは、大きな飛躍がある。そうすると、被告人の本件各妄想や精神的な不穏状態が住居侵入や被害等の行動全般にわたって影響を与えた蓋然性が高い」と結論づけ、心神耗弱とした。

⇒ わずかなお金のために人を殺すことは過去の強盗殺人事件ではいくらでも経験していることである。わずかなお金で人は殺さない、だから、被害妄想に支配されて行った強盗殺人だという論理こそ、大きく飛躍していないか!

[被害者参加弁護士の結論]

1. 第1審があれだけの時間をかけ、9人の判断権者が、「子細に検討」を加えた結論に対し、控訴審が、たった3名の裁判官だけで、子細な検討を放棄し、抽象的な理由だけで、原判決を破棄して良いのか。

⇒ これでは、裁判員裁判の意味がない。現行の裁判員裁判を維持したいのであれば、少なくとも、破棄差し戻しにすべきではなかったのか。

2.このような杜撰な事実認定に対して、検察官が上告しなかったのは職務放棄である(不戦敗)。刑事訴訟法411条が実際の上告審の運用であることは検察官も知らないはずがないのに、それに期待しなかったというのでは、検察への国民の信頼は得られない。

3.死刑相当事件で、このような杜撰な司法対応(控訴審と検察官)が続くのであれば、

① 控訴審もフランスと同様に、裁判員裁判にするか、あるいは

② 被告人(弁護人)は上訴したが、検察官が上訴しないときは、被害者参加人に、固有の上訴権を与えるべきではないか。

■「真剣に証言を聞いてくれた裁判員」

上谷さくら弁護士

では、同じく被害者参加弁護士を務めました上谷からも少しお話をします。私たちはこの事件について、第一審の裁判員裁判から全部参加しております。裁判員裁判は、1月、2月、3月で、雪が毎日降っているとても寒い時期に連日行われました。裁判員裁判というと、タイムスケジュールがタイトで、東京地裁の場合分刻みで進行し、午後5時にはピシッと終わる感じですが、埼玉のこの事件は午後6時を過ぎるとことも度々ありました。証人が10人以上出てきたんですけれども、尋問の予定時間より長くなっても裁判官が止めることはありませんでした。「聞けるところは全部聞いておこう」という姿勢が顕著だったと思います。裁判員の方も、これだけの重大事件で長時間拘束されたのに、退屈そうにしている人とか、眠そうにしている人は誰もいなくて、本当に真剣に証言者の証言の一言一言を、耳をそばだてて聞いてくださっていたなという印象があります。私は、一審判決の判決理由を聞いたときに、非常に細かく厳密に堅い認定をしたなと思いました。死刑事件だと被告人側が必ず控訴してきますので、控訴審でも絶対にひっくり返らないようにということで、厳密な判断、そして堅い判断をしてきたなと。多分、一審の検察官もそのような印象を持たれていたという記憶があります。なぜ一審が重要なのかと言うと、控訴審というのは新しい証人を呼んだりしない限り、全部書面審理なんですよね。控訴審の裁判官は、一審の裁判員裁判の記録を読みますが、書面だけなんです。書面だとわからない部分がたくさんあります。特に証言というのは、何を喋ったかという内容だけではなくて、その証人の顔色とか声色、態度、言葉に詰まった感じ、そういったものを全部、総合的に見ているわけなんですね。それが紙だと全然わかりません。私も刑事・民事にかかわらず尋問しますけれども、あとで調書として上がってきたのを見ると、自分のその時のイメージと、紙のイメージが全然違っていて驚くことがよくあります。確かにこんなこと聞いたけど、紙で見ていると、そういうイメージじゃないし、相手の答えも印象が全然違うと感じます。だから、その書面だけ上がって後から審査されるのはすごく嫌だな、と日頃から思っているんですけど、そういうこともあるので一審というのは非常に重要だと私は思っています。

例えばですね、ジョナタンは、一審は全部、車椅子で出てきたんですね。不規則発言がとても多かった。ただ、不規則発言をするんだけれども、裁判官が怒り始めて、「退廷させますよ」って言うと、大人しくなる。つまり、ある程度、暴れてはいるけれども、大事なところはわかっていると。だから詐病の恐れもあるだろうということは、法廷にいた誰もが感じていたと思います。尋問のときも態度は悪くて、ほとんど机に突っ伏していて寝ている。眠っているかどうかはわかりませんけれども、顔も上げないような態度でした。ただ死刑の宣告が出たときに、私たちの席からはそのジョナタンの表情は見えました。机に突っ伏しているけれども、私たちは横から見ているので顔が見えるんです。彼は死刑判決が出たときは目を大きく見開いて、裁判官の顔を見ていました。ちゃんと死刑の意味も理解していました。そういう一挙手一投足見ているというのはとても大事だと思うんですよね。やっぱりジョナタンはちゃんと全部意味がわかっている、大事なところだけはぐらかしたという印象を強く持ちました。

控訴は多分するだろうなと思っていたんですけども、控訴審で翻ることはないなという印象を持っていました。ただ一つ、拘禁反応もあって精神状態が悪化しているっていうのは、なんとなくわかりましたので、訴訟能力についてはちょっと疑問がつく。そこが心配でした。裁判官からも「訴訟能力が争点である」と言われたので、私たちもそこだけ気にしていましたし、検察官も同じでした。ですから、そこに立証の力を注いだわけです。ただ結局、控訴審は審理が3回、時間にしても全部合わせても数時間だけでした。一審で証言した精神科医の人が控訴審で1度、証人として証言しましたけれども、その時も尋問のかなりの部分が訴訟能力に関することでした。一審判決の後に、その精神科医が鑑定のために接見に行っているんだけども、被告が出てこないと。その先生が言うには、「自分は味方であるはずなのに出てこないっていうことは、いろんなことが理解できなくなっているのではないか」という趣旨の証言をされていましたけども、私は本当にそうかな?と思いました。私も刑事弁護の経験はあって、弁護人は被告人の味方をするために接見に行くのですが、機嫌が悪いと接見に出てこない被告人はいるわけです。それなのに、自分が助けに来ているのに理解できないのは精神的に問題がある、というようなことまで言っちゃうのかな?とか、いろんな疑問はありましたけども、専門家の意見ですから一つの意見として聞いておこう、という程度にしか思っておりませんでした。

■「裁判所に信頼感あったので衝撃」

上谷さくら弁護士

控訴審のジョナタン被告は、体は元気になっていたように感じました。地裁では車椅子でしたけど、控訴審の時は全部歩いて来ました。だから私たちは、元気になっているなってびっくりしたんです。相変わらず不規則発言もありました。ただ、不規則発言はするんだけども、肝心の審理が始まるっていうときは、ちゃんと聞いているんですよね。そこの区別はちゃんと出来ているんです。そこのところをちゃんとわかっているなと思うんです。でも、控訴審で無期懲役判決が出てしまって私が思ったのは、やっぱりその普通の態度ではなくて、明らかに異様な感じはします。不規則発言はあるし、なかなか椅子に座ろうとしないとか、急に上着を脱ごうとするような仕草があったりで、たくさん刑務官に囲まれて、という状況がありました。だから、控訴審の裁判官たちは、その異様な様子に引きずられたんじゃないかと、個人的に思っています。犯行時に責任能力があったかということが問題であるにも関わらず、今の状態で、訴訟能力があるかどうか、というところでちょっと異常な感じがしたのを、犯行時の責任能力のところに引っ張っていったんじゃないかなと。これ、本当に私見になりますけども、そんな印象さえ、判決を見て抱きました。私はたまたま、控訴審の判決の日にインフルエンザで出廷できなくて、スマートフォンでニュースの速報を見て、無期懲役というのを知ったのですが、見出しを見て全く意味がわからなかったんですよね。6人殺して無期ってどういう理屈だろうと思って、まさか責任能力で、しかも心神耗弱なんていう話で減刑になるって思ってなかったですから、何が起こったのかなって思ってすごくびっくりしました。後で聞いてみたら、出廷していた髙橋弁護士も最初は無期の意味がわからない、検察官も唖然としていた、ということだったんですよね。しかも事実認定自体は変わらない、なのに一審の証言とかを直接見ていない人たちが、書面審理だけで勝手に評価を変えてしまう、しかもその数時間だけで。「責任能力が争点だ、ここをがっちり審理し直します」というようなサジェスションもなく、不意打ち的にこういうことをするんだなっていうのは、私は裁判所に対しては一定の信頼感があったので、かなり衝撃を受けました。

先ほど被害者参加弁護士の結論ということで髙橋弁護士から「被害者参加人の上訴権」という話がありましたけれども、これは非常に大事だと思っています。例えば、特に今回、被告人側は上告しているんですよね。無罪であるべきだ、ということで上告をしています。そうすると加藤さんは今後、死刑にすべきだという主張はできないのに、無期判決を維持するのが正しいのか、無罪とすべきなのかということに付き合わなくてはなりません。こんな理不尽なことはないと思います。被告人側の控訴、上告っていうのは荒唐無稽なものがとても多いのですが、それは簡単になされます。

今回、検察官が上告しなかったのは、私は不戦敗だと思っていて、検察がこんな負け犬根性でどうするんだと思いますけれども、ある日、突然3人も家族を殺された人が黙ってそれを受け入れるしかない、今後もっと刑が軽くなるかもしれない裁判に付き合わなくてはならないという、こういう理不尽が許されていいわけがないと思っています。今回だけでなく、他の裁判でも、裁判員裁判の結果をいとも簡単に控訴審で破棄して無期にするというのが、たくさん起こっていますので、大きな制度の枠組みとしても、検討し直す時期に来ているのではないかと思っているところです。私からは以上です。

■一審の死刑判決「区切りになった」

ご遺族の加藤さん

きょうはお忙しいところ、お集まりいただいてありがとうございます。無期懲役の判決が確定して思うこと、私の心情を話して行きたいと思います。

私は、4年半前に、ペルー人のバイロンから、妻と長女、二女を殺害された遺族です。娘が生きていたら、長女は来月から高校生、二女は中学生になっていたはずです。私たち家族4人は、私が会社員として働き、妻は専業主婦として私や子どもたちのために日々尽くしてくれ、娘たちは楽しく学校に通い、伸び伸びと成長している盛りで、賑やかに明るい毎日を過ごしていました。それを一瞬にして壊された悔しさ、怒り、悲しみ、虚しさ、無念などの気持ちは言葉では言い表せません。しかも、バイロンは、私の家族を殺す前に、既に3人も殺害していました。そんなバイロンに対する裁判は、今にして思えば理不尽の連続だったと思います。

さいたま地裁で裁判が始まったのは、事件が発生して2年半近くたってからでした。バイロンに責任能力や訴訟能力があるのか、という問題があり、何度も精神鑑定が行われ、裁判所と検察、弁護人で延々と協議が行われていました。裁判が出来るかどうかも分からず、私は妻子を失った苦しみと、6人も通り魔みたいに人を殺しておいて裁判すらされないかもしれないという怒りの狭間で、どうにかなってしまいそうでした。ようやく裁判が始まりました。私はどうしても、バイロンに聞きたいことがあったので、待ちに待った裁判ではありましたが、妻子を殺した本人を目の前にして、やはり気持ちは昂りました。バイロンは、裁判官の指示を無視して勝手に話し始めたり、多くの証人の証言の間は机に突っ伏したままだったりして、とても不遜な態度でした。私には、責任能力がないことを口実にして死刑を逃れるための演技だとしか思えませんでした。私はバイロンに、「なぜあなたは私の家族を殺したのか」と尋ねました。バイロンは、私の質問には真正面から答えませんでしたが、一度だけ「私は殺しました」と答えました。私は今でも、バイロンが遺族から問い詰められて、思わず本心を打ち明けたと確信しています。朝から夕方までの審理が連日続き、私は心身ともに疲弊しましたが、裁判員の方は誰一人として居眠りしたりすることもなく、全員が真剣に取り組んでくれました。証人の一言一言に耳を傾け、バイロンの不規則発言や、被告人質問も食い入るようにして見ていました。その結果、死刑判決が言い渡されました。死刑判決が出て、私はもちろん当然、死刑判決もしくは、それ以上の刑があるのならば、と思い、安心、安心とは言いませんけど、ひと区切り、死刑判決が出て、これで良かったと思いました。判決の一言一句に納得ができました。裁判員の方は、慣れない審理と向き合い、全力で事件と向き合って、死刑を選択してくれたと思います。この死刑判決は、私の中でひとつの区切りとなりました。

■「結論ありきの控訴審判決」

ご遺族の加藤さん

弁護人は、死刑判決を不服として控訴しました。私の弁護士さんから、たぶん控訴するだろうと言われていたので、それ自体は驚かなかったし、当然に控訴は棄却されると思っていました。第一審で、バイロンはずっと車椅子でしたが、控訴審では歩いていたので驚きました。私の妻子は生きて戻ってくることはないのに、バイロンは日本という国に守られて、日本国民が払う税金で衣食住を保証してもらって、元気に法廷に現れている。その理不尽が再び私を苦しめました。そして、控訴審では、訴訟能力だけが争点だと裁判官から言われ、それ以外に関する質問は封じられました。私からバイロンに対する質問は出来ませんでした。でも、バイロンの様子を見ても訴訟能力があることは明らかだと感じましたし、第一審の死刑判決が当然なので、控訴審は早く裁判を終わらせようとしているだけだろう、と考えていました。実際、審理は3回しかなく、時間も短時間でした。ところが、判決は「原判決を破棄して、無期懲役とする」というものでした。私は裁判官が何を言っているのか分かりませんでした。検察官も、被害者参加弁護士も唖然としていました。その内容は、心神耗弱なので減刑する、というものでした。

責任能力については、裁判員裁判で何日も審理され、事件の前後の様子が具体的に生々しく証言され、それを聞いたうえで裁判員は判断したのです。精神科医の尋問も適切に行われ、その結果に敬意を表したうえで、裁判に取り入れる部分と取り入れない部分が判決で分かりやすく説明されました。控訴審は、それをたったの数時間で、第一審と同じ精神科医の尋問だけでいとも簡単に翻したのです。バイロンは私の妻子を殺した後、私の自宅の2階から転落して頭を打っているのです。その後にバイロンに会って鑑定した精神科医が、犯行時のことをなぜ証言できるのでしょうか。バイロンは、警察やヤクザに殺される、ということを繰り返して言っており、それが精神疾患からくる妄想だったことは第一審でも認定されています。それはその通りなのでしょう。でも、バイロンが殺したのは、お年寄りや女性、子どもばかりです。しかも、バイロンは私の長女に何らかの性的なことをしたことが明らかになっていました。これは、「殺される」という妄想とは何ら関係がありません。その大事なところに、控訴審判決は一切触れていませんでした。結論ありき、でただ裁判官が個人的に死刑にしたくなかっただけだと思います。

■「私はまだ諦めきれません」

ご遺族の加藤さん

検察は当然に上告すると思っていました。たぶん第一審が翻ることはないだろうと言われていましたし、控訴審判決には、検察官もかなり憤っていたからです。しかし、なかなか「上告しますね」という報告はなく、私はじりじりする気持ちで控訴期限が近づくのを待っていました。そして、検察庁に呼ばれ、「上告理由がないので上告できない」と言われました。あれこれと説明は受けましたが、どれも納得できませんでした。検察は、何の罪もない人を手あたり次第6人も殺した人間が、死刑にならなくても構わない、と判断したのだと思いました。当初は東京高裁に対する怒りが強かったのですが、今は検察庁に対する怒りの方が強いです。さいたま地裁の検察官は本当に頑張ってくれました。私がバイロンに直接手を下さなくてもいいように、国の責任として死刑を勝ち取ってくれたと思いました。でも、高検はそうではありませんでした。不戦敗です。あの狡猾なバイロンの演技に騙され、弁護人の主張した「6人殺しても無罪にすべき」という意味不明な論理に乗っかって、裁判員裁判の重大な結論を無視した控訴審判決に、検察庁は不戦敗したのです。

検察は上告してくれませんでしたが、バイロンは上告しました。今後、無期懲役を維持するのか、無罪にするのかを最高裁が判断します。これはいったい何なのでしょうか。私が今、一番悔しいのは、検察が闘わなかったことです。検察は、6人殺して無期懲役という、最悪な結果を残しました。1%でも可能性があるなら、上告すべきだったのではないでしょうか。検察は、絶対に勝てる自信がないと、控訴したり上告したりしないそうです。それはメンツのためでしょうか。検察は誰のために仕事をしているのでしょうか。自分の生活のためでしょうか。私は自分でバイロンに手を下すしかないのでしょうか。私はまだ諦めきれません。諦めたくありません。叶うなら、争いたいです。控訴審をやり直してほしいし、最高裁で改めて検討してほしいです。現行法では無理だと説明されましたが、それでも諦めたくありません。なんとか例外的に審理をやり直せないのか、それが出来るのであればどんなことでもしたいと考えています。私が諦めたら終わり、という気持ちがあります。被告人はどんな荒唐無稽な理由であっても、控訴したり上告したりするそうです。なぜ、遺族に上告する権利はないのでしょうか。やる気のない検察官に当たったら運が悪かった、諦めろ、とでも言うのでしょうか。この国の司法は間違っていると思います。

改めて今考えると、今でも無期懲役という判決が下ったことに対して、私は誤審だと思っています。もし無期懲役にするのであれば、被害者に納得させるだけの内容をいうべきではないのでしょうか。そして今後、安全に暮らせる日本を作るためにも、司法、または国民一人一人が考えるべきところまで来ていると思います。本当に難しいとは思いますが、もう一度裁判をやり直してほしい。ただ私は本当、今の自分はそれでしか言い表せません。以上です。ありがとうございました。

■「国民一人一人に考えてもらいたい」

この後、記者との質疑応答が続きました。最後に加藤さんは、「国、自治体にこういう支援が欲しかった、ということがありましたら」という質問に、次のように応えました。

ご遺族の加藤さん

そうですね、私、今、現在(事件から)約4年半になるんですけど、本当、精神的に、日々生活している中で本当、苦しい毎日を送ってるんですけど、一番辛いって言えば、やっぱり精神的なもので、そういったケアとか、やはり国の方で何もない状態で、自分で精神科に行って薬を処方されて、それを飲んでっていうだけであって、何ら私としては気持ち的に、もちろん、どんなカウンセリングを受けても、色々なことを受けても良くなるとは思わないんですけど、やっぱり、そう行った精神的な面もそうですし・・・。今回、裁判に、参加するにあたって、加害者側は国選弁護人がつきますけど、こちら側は雇うって形で弁護士を、そういった金銭的な負担とか、もちろん、その当時の現場の写真とかのコピーも本当、何千枚とあって、何十万っていう金額がかかっているんですよね。金銭的負担とかもやっぱり、変な話、お金がないと弁護士雇えないのっていう問題になっちゃうと思うんですよね。そういうのも改めて、やっぱり考えてもらいたいっていうのはありますし、もちろん今回、一審判決にあたっては、本当、何人もの証人が出てきて、そこで判断してくれて死刑判決って出たんですけど、その辺り、高裁では精神科医1人呼んで判断したのが無期懲役っていうことなんですけど、もう少しやっぱり中身の濃い二審判決にしてもらいたかったなとは思うんですよね。私も裁判官に言いたいことは正直いっぱいありました。もちろん判決に対して私が裁判官に質問したいくらいです。先生方が言っていたように、長女に性的なこととか縄で縛って無抵抗な人間に対してどうして襲う恐れがあったのかなっていう、自分が襲われるから殺したんだって裁判長は言っていましたけど、そんな縛られた無抵抗な人間がどうやったら殺せるんでしょうかっていう質問ももちろんしたかったですし。もう少し被害者にも質問できるような時間とかも取ってもらえたらいいなとは思うんですけど。

本当になんかもう、いまだに全く納得できようがない裁判の判決内容なんで、今、自分がどうしたらいいのかなって考えたときに、やっぱり最終的な法改正のために、今後、同じような被害に遭わないために、法改正の方に力を注いで行かなくてはいけないのかなとか、色々と思うところはあるんですけど。その辺もちょっとゆっくり考えながら、色々自分の中でも気持ちも、まだ4年半経って整理つかない部分もあるんですけど、ゆっくりではありますが、何ですかね、本当、住みやすい日本を皆さんで作っていかなくちゃなとは思いますし、司法も今もう変わんなくちゃいけないんだって問われるところまで来てると思うんですよね。昔と今ではやっぱり犯罪も違う、私、詳しくはわからないんですけど、やっぱり連日のようにニュースとかでも残虐な犯罪が起きているわけですから、そういうのをなくすためにも、厳しい判決とかも求めて、考えていかなくてはいけないんじゃないかなと、私は個人的には思いますけど。その辺、やっぱり被害者だけじゃなく、さっきも言いましたように国民一人一人が私の立場になったときに、こうなってもらいたい、こうしてもらいたいっていうのを考えてもらえたらなとは思います。以上です。

 
⇒会見の動画は日本記者クラブのホームページでご覧いただけます。
裁判員裁判を問う ~熊谷連続殺人事件の遺族、弁護士 会見~
⇒2020年3月29日放送『熊谷6人殺害 遺族激白「司法は間違っている」』はこちら
テレ朝news
YouTube ANNnewsCH
⇒2019年12月22日『BS朝日 日曜スクープ』遺族の加藤さんスタジオ出演はこちら
熊谷6人殺害で死刑破棄 遺族が出演「司法にも心を殺されました」
⇒2020年9月20日放送『熊谷6人殺害から5年 遺族「苦しみは死ぬまで・・・」』はこちら
テレ朝news
YouTube ANNnewsCH
⇒2021年5月2日放送「熊谷6人殺害「証拠品」返却 今なお訴え続ける理由」はこちら
熊谷6人殺害「証拠品」返却 今なお訴え続ける理由