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#275

【ウクライナ現地取材:玉本英子】戦禍の現実“最前線の街”では

アジアプレス所属のジャーナリスト、玉本英子さんが戦禍のウクライナを現地取材しました。反転攻勢直前の出撃拠点オリヒウ、去年ロシア軍が撤退したもの過酷な現実のヘルソン州、そして、前線から離れた街でもロシア軍の攻撃による悲劇は後を絶ちません。2023年8月13日『BS朝日 日曜スクープ』は、玉本さんの取材映像をご紹介するとともに、玉本さんがスタジオ出演し、現地の状況をお伝えしました。

■放送内容は動画でもご覧になっていただけます。

【玉本英子ルポ破壊された街】砲撃の連続で“民間人犠牲”戦禍の現実◆日曜スクープ◆

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■現地取材のVTRは、個別にも動画公開しています。

【ウクライナ玉本英子ルポ①】南部”最前線の街”激化するロシア砲撃◆日曜スクープ◆

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【ウクライナ玉本英子ルポ②】ヘルソン州“奪還”後も苦難…庭に砲弾◆日曜スクープ◆

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【ウクライナ玉本英子ルポ③】集合住宅まで崩壊…起きなかった奇跡◆日曜スクープ◆

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■ジャーナリスト 綿井健陽さんのウクライナ現地取材の特集もご覧になっていただけます。

⇒ 2023年4月16日放送 綿井健陽が取材 バフムト近郊“戦禍の街の人たち”

■反転攻勢直前“出撃拠点の街”オリヒウでは…

上山

続いてのテーマはこちらです。「ジャーナリスト玉本英子が見た現場〝最前線の街〟庭先に砲弾が…」

まずこちらをご覧ください。激しい戦闘が続く、ウクライナ南部・ザポリージャ州の戦況地図です。6月上旬からの、ウクライナ軍の反転攻勢の拠点となったのがこちらの「オリヒウ」と「マラ・トクマチカ」です。

この赤い部分がロシア軍の支配地域で、黄色の部分が戦闘地域ですが、戦闘地域から、「オリヒウ」は7km。そして、「マラ・トクマチカ」は、わずか4kmです。この最前線の街に、反転攻勢が始まる直前の5月中旬、日本人ジャーナリスト、玉本英子さんが取材に入りました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「今から前線に近い地域に向かいますので、防弾チョッキを着ます」


撮影:アジアプレス

玉本英子

「今、ロシア軍との戦闘の前線地域に向かっています」

ロシア軍の激しい攻撃が続き、立ち入ることが難しいサポリージャ州、最前線の街「オリヒウ」。5月中旬、ウクライナ軍司令部の許可を得て、ジャーナリスト、玉本英子(たまもと・えいこ)が、取材に入りました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「これは航空機からの爆撃で、2週間前だったということです。直径10メートルほどの大きな穴があいています」

ロシア軍は、上空からの爆撃や遠方からの砲撃で、町への攻撃を繰り返しています。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「今も大きな砲撃の音が聞こえてきました」

撮影者:坂本卓

「近い、これは近い」

撮影中、突然の砲撃…。砲弾は、取材班の真上を飛び着弾しました。ロシア軍の偵察ドローンが飛んでいる可能性があり、1か所に留まっての撮影は、危険です。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「あそこにあるのはスクールバスです。スクールバスも破壊されています。そして、ここにはロケット砲の跡も残されています」


撮影:アジアプレス

かつて、子供たちの声があふれていた学校も、校舎が破壊され、教室がむき出しになっていました。

玉本英子

「ここはロシア軍から絶え間ない砲撃や爆撃にさらされています。建物や住宅、至る所が破壊されています。多くの住宅が屋根から崩れ落ちている、という状況です」

戦闘地域から7キロに位置するオリヒウは、ロシア軍の攻撃が最も激しい町のひとつとなっています。


撮影:アジアプレス

ロシア軍の攻撃から身を守るため、こちらの学校に、住民たちが避難していました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「ここは食堂になっています。人々はガスや電気が使えないため、こちらの食堂で提供される食事をとっています」

およそ200人の住民が、この学校の地下に避難していました。オリヒウでは、子どもや若者は、街を脱出し、残っている住民のほとんどが高齢者です。

この避難所では、町に残った副市長が、住民への支援を続けていました。


撮影:アジアプレス

スベトラーナ・マンドリチ副市長(51)

「爆撃の後、住民は着の身着のままでここに来て、何も持っていない人がほとんどです。ここに来れば、服をもらうことができますし、あそこにはベッドもあります」


撮影:アジアプレス

避難した住民

「きのうは砲撃が酷かったので、近くにいた人を避難させました。車で移動しても危険なので、皆でここに避難してきたのです」


撮影:アジアプレス

避難した住民

「わたしは自分が生まれた土地を愛しています。なので、この土地を離れません。私は自分の人生を神の判断にゆだねています」

今も民間施設やインフラへの絶え間ない攻撃が続き、町のいたるところが破壊され、犠牲者も増えています。

スベトラーナ・マンドリチ副市長(51)

「地元の人間として、副市長としてとても悲しいです。町が破壊し尽くされていくのは辛く、恐ろしいことです」

■検問所を越え、さらに“最前線の街”へ


撮影:アジアプレス

複数のウクライナ軍の検問所を越えて、さらに最前線の村へ向かいました。取材した5月中旬は、「マラ・トクマチカ」村のわずか2km先が、ロシア軍との戦闘地域でした。

ウクライナ軍による反転攻勢が始まった6月上旬には、この村のすぐ近くで、ウクライナ軍に供与されたドイツ製の戦車「レオパルト2」がロシア軍によって撃破された場所でもあります。


撮影:アジアプレス

そんな最前線の村にも、避難せずに残っている住民が…。この日は、人道支援団体の物資が届けられ、住民たちが集まっていました。


撮影:アジアプレス

Q なぜ避難しないのですか

住民の男性

「年金生活者にとって家を出て、よその場所でアパート代 電気代 水道代を払う余裕はありません」


撮影:アジアプレス

住民の女性

「牛が3頭いますし、どこにも行けません」

そのとき、砲撃の音が…


撮影:アジアプレス

別の住民の女性

「大丈夫よ。恐れないで」

「これは、ウクライナ側から砲撃しているのよ」

Q 毎日砲撃で、怖くないですか

「そうですね。とても怖いけど仕方がないです。私たちの土地がこんな悲しみに包まれるなんて…」

■ロシア軍の砲撃と爆撃…容赦ない破壊

まずこちらをご覧ください。激しい戦闘が続く、ウクライナ南部・ザポリージャ州の戦況地図です。6月上旬からの、ウクライナ軍の反転攻勢の拠点となったのがこちらの「オリヒウ」と「マラ・トクマチカ」です。

この赤い部分がロシア軍の支配地域で、黄色の部分が戦闘地域ですが、戦闘地域から、「オリヒウ」は7km。そして、「マラ・トクマチカ」は、わずか4kmです。

この最前線の街に、反転攻勢が始まる直前の5月中旬、日本人ジャーナリスト、玉本英子さんが取材に入りました。ここからはウクライナの最前線の街を取材した、ジャーナリストの玉本英子さんにお話を伺っていきます。どうぞ宜しくお願いします。

番組では、去年と今年の4月、綿井健陽さんに出演していただき、ウクライナでの現地取材をお伝えしましたが、玉本さんは綿井さんと同じく、国内外の取材に従事するアジアプレスに所属しています。

飯村

今回、玉本さんがウクライナで取材を行った地域です。5月上旬から6月上旬にかけて、首都キーウやウクライナ中部、そして、VTRでもお伝えした通り、南部ザポリージャ州の反転攻勢の拠点であるオリヒウを取材しました。ヘルソン州にも足を運んでいます。

現地取材は、玉本さんが所属するアジアプレスの坂本卓記者。そして通訳、前線での取材経験が豊富な運転手の4人で行ったということです。取材前にウクライナ軍司令部の許可を得て、兵士や警察が同行する場合も多かったと言いますが、今回、反転攻勢直前に取材したオリヒウは、どのような印象でしたか。

玉本

オリヒウとマラ・トクマチカは南部戦線で反転攻勢の最初の戦闘現場の一つとなりました。前線に近づくと、一般車両が段々なくなっていって、私が見たのは、装甲車を積んでシートをかけたトレーラーが行き来しているという光景でした。非常に緊張感が高まるのを感じました。町に入ると、学校も民家も容赦なく破壊されていました。10メートルほどの大きな穴があちこちに開いていて、そのすさまじさに胸が痛みました。


撮影:アジアプレス

飯村

取材規制というようなものは、当時はどうでしたか?

玉本

ウクライナ軍司令部から許可を得て現地に入りましたが、やはり前線地域、特に最前線の方の取材は規制がされているなと思いました。やはりそれは、メディアが入って撮影した武器や兵器、部隊の位置などの情報が公開されると、ウクライナ軍の動きを察知される可能性もあることを警戒したのではないでしょうか。

飯村

先ほどのVTRの中では、砲弾が頭上を通って、そして近くに着弾するという様子もありました。相当緊迫した現場ということですよね。

玉本

そうですね。すぐ先のロシア軍陣地からの絶えまない砲撃に加え、ロシア軍機による激しい爆撃が繰り返されています。大型の誘導爆弾は、上空から飛来して爆弾を落とすのではなくて、非常に遠いロシアの空域とか遠方から発射されています。現場を案内してくれた地元の警察官が言っていたのは、ロシアのドローンが動きを把握しているという前提で動けと。1カ所にとどまったり、大勢で長い時間いるということは標的になるため、非常に危険だということで、何度も注意を受けました。

飯村

VTRの中で地元の方が「この音は危なくない。ウクライナのものだから」ということをおっしゃっていましたけれども、これはどうやってわかるのでしょうか。

玉本

これはですね、あの住民女性がいた村のすぐ近くでは、ウクライナ軍の砲兵部隊が展開していて、ロシア軍側への砲撃の発射音です。ロシア軍からの着弾音と、ウクライナ軍側の発射音は違うので、この音はウクライナ軍と住民は言っていたのです。ただし、あの女性の村もロシア軍が何度も砲弾を撃ち込んできて死者も出ています。

■取材した避難場所の学校まで…

上山

こちらも、ご覧ください。左の写真は、VTRにも出てきた、オリヒウの学校です。玉本さんが取材した5月当時、約200人が地下に避難していました。そして右の写真です。先月、ここをロシア軍が攻撃しました。この玄関の右側を比較して見るとわかりますが、建物の右半分が崩壊、市民7人が亡くなりました。

ウクライナ検察当局は、今回の攻撃を戦争犯罪として捜査するとしています。なぜ、避難所となっている学校が攻撃されなければならないのか理解に苦しみますが、攻撃の一報を聞いたときは、どのような思いを持ちましたか。

玉本

非常にショックでした。このニュースを知って、現地に一緒に行った運転手に連絡しましたが、亡くなった7人には、支援に当たっていたボランティアの女性や女性の医師もいたんです。このオリヒウは、住民の若者たちは、もうほとんど町の外に出て、子供もいない状況でした。


撮影:アジアプレス

高齢者が残っていたのですが、高齢者の面倒を見る世代、40代とか50代の女性たちがボランティアとして食料配布など、黙々と働いていたことがすごく心に残っています。このような人道支援の現場まで、ロシア軍の標的になって犠牲者が出たことに非常に怒りを感じるとともに、胸が痛みます。

上山

町に残って町のために、皆さんを支援していたボランティアの方々が犠牲になっているという現状もあるということですが、杉田さんは、ここまで玉本さんの最前線の街の取材をご覧になって、どんなことをお感じになりましたか。

杉田

やはり現地の最前線に行かれて、その体験をもとに、こうやってこの場でお話ししていただくというのが我々としては大変ありがたいです。本当に生々しい様子がすごく伝わってきています。避難所への攻撃ですが、あえて避難所を攻撃すると見た方がいいんでしょうか。それとも、いわゆる流れ弾というか、そういうものが当たってきてしまっているということなのでしょうか。

玉本

これはちょっと難しくて、私も現地の人に聞いたんですけれども、なぜここが攻撃されたのかわからないということでした。ロシア軍が意図的に市民を狙ったりしているもの、軍事目標を狙って外れたものなどもあるのではないか、ということです。いずれにせよ、住宅地、市民のいる場所を分かっていながら攻撃や砲撃をしてくるのは事実です。

杉田

いずれにしても、その結果として、そこが攻撃されているわけです。ロシア軍としてはおそらく、先ほどのお話ですと、色んなところでドローンを飛ばして、どこに誰がいるということは把握しているということだと思いますので、避難所を、例えば避けるとか、避難所ではなくて、軍の施設、あるいは戦略的な施設を攻撃するということをしていないということが明確になったと思うのです。ドローンが見ているから動きを止めるなというお話が玉本さんからありましたが、本当に迫力ある話で、それがいかにロシアの今回の攻撃というのが人道面も全く無視した、無差別攻撃になっているのかということもよくわかりました。

【杉田弘毅】共同通信社特別編集委員
テヘラン支局長、ニューヨーク特派員、ワシントン支局長、論説委員長などを経て現職
明治大学で特任教授 2021年度「日本記者クラブ賞」を受賞
著書「国際報道を問いなおすーウクライナ戦争とメディアの使命」など多数

■奪還しても過酷な現実 ヘルソン州の今

上山

こちらは、ヘルソン州の戦況地図です。去年8月と今年6月のものです。 ジャーナリストの玉本英子(たまもと・えいこ)さんが去年8月に、ヘルソン市の西側にあるノバヤ・ゾリャ村を取材した時は、ヘルソン州の大部分がロシアの支配地域となっていて、ノバヤ・ゾリャ村が、最前線の村でした。

その後、ウクライナがドニプロ川西岸を奪還し、今年6月に玉本さんがノバヤ・ゾリャ村を再び訪れると、そこには過酷な現状がありました。さらに、取材中、〝悲しみの知らせ〟が届きました。


撮影:アジアプレス

ドニプロ川を挟んで、ウクライナ軍とロシア軍が対峙する南部ヘルソン市。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「ヘルソン市内です。不気味なほど静かです。人の姿は少なく、時おり軍関係の車両が通るのが見えます」

去年11月にウクライナ軍がヘルソン市を奪還しましたが、今もロシア軍の激しい砲撃や爆撃が続いています。


撮影:アジアプレス

ここは、取材の2日前にロシア軍のドローンに攻撃された現場です。この建物が攻撃され1人が負傷しました。


撮影:アジアプレス

住民の男性(68)

「砲撃の音が、しない日はありません。この砲撃にはもう慣れっこになっています」

「妻は今、ドニプロ川の対岸にいて、もう半年も戻っていません。ロシアは妻がウクライナに戻ることを許してくれない」


撮影:アジアプレス

玉本英子

「ここから2キロ先はロシア軍がいます。スナイパーが橋から、(対岸で)歩く人たちを狙っているということで、あと、このプレスですね。これをつけていると狙われやすいということで、私たちはこのプレスという表示をはずしています」

取材を行った数日前に、「PRESS」と書かれた防弾チョッキを着ていたイタリアメディアの記者が、アントニフスキー橋でロシア軍から狙撃され負傷、同行していたウクライナ人記者が死亡しました。


撮影:アジアプレス

玉本は、去年8月にも、ウクライナ軍に同行。ヘルソン市の西側にあるノバヤ・ゾリャ村を訪ねていました。当時はロシア軍が、まだヘルソン州の大部分を支配しておりこの村からロシアの支配地域まで4キロしか離れていいませんでした。当時、最前線の村だったのです。


撮影:アジアプレス

ロシア軍の砲撃で屋根が吹き飛ぶなど、村の家屋は甚大な被害を受けていました。


撮影:アジアプレス

住民が避難して無人になった村。兵士に連れられて、家の中に入ってみると…。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「激しい砲撃でここの住民はほかの町に避難しています。避難する前の生活の痕跡が残されています」

着の身着のまま避難したのでしょうか…。食器もそのままの状態で置かれていました。この家の人たちは、どんな思いで家を去り、村をあとにしたのか、玉本はずっと気になっていました。

■庭先に砲弾も…帰還した住民たちが直面する現実

玉本英子

「10か月前に訪れた時は、ロシア軍の前線がすぐ先で、激しい砲撃にさらされていました。ロシア軍が撤退し、その後、私が取材した村はどうなっているのか、いま再び訪れています」

村の家屋は破壊されたままでしたが、去年11月にロシア軍がドニプロ川西岸から撤退したため、住民の一部が村に戻っていました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「大体長さは1メートルくらい・・」

住民の男性

「グラート砲ですね」


撮影:アジアプレス

通称「グラート砲」と呼ばれるロシア軍の多連装ロケット砲「BM-21」。グラートとは「あられ」という意味です。ロシア軍、撤退後も、村の住宅や畑には、こうした砲弾の破片や、不発弾が残り危険な状態が続いています。


撮影:アジアプレス

去年取材したときは、誰もいなかったあの家を再び訪れると、住民が戻っていました。2週間前に帰還したばかりだというナターシャさん。玉本が、ずっと気になっていた住民に、会うことができたのです。


撮影:アジアプレス

Q 避難先から村に戻りどう感じましたか?

ナターシャさん(72)

「人生を賭けて、この家を建てたので、悲しい思いです。どうしてこんなことが起こってしまったのでしょうか…」


撮影:アジアプレス

水道やガスなどのインフラは、復旧しておらず、帰還をためらう住民も少なくないと言います。

Q 隣国のロシアがウクライナを攻撃しましたが、どういう思いか?

ナターシャさん(72)

「とても難しい質問です。私の父はウクライナ人で、母はロシア人です。親戚が親戚を攻撃するような、とてもつらい気持ちです」


撮影:アジアプレス

足が悪く松葉杖が手放せないナターシャさんが、「見てほしいものがある」と言って、庭へ出ました。


撮影:アジアプレス

ナターシャさん

「ここは、ロケット砲で、やられてしまったんです」


撮影:アジアプレス

家の庭には、4発もの砲弾が刺さったままの状態で、当時の砲撃のすさまじさを物語っていました。ロシア軍が撤退したものの、村の復旧や生活再建への道のりは遠く、苦悩の日々が続いています。

■取材に応じた隊長が… 取材中に届いた訃報


撮影:アジアプレス

オレグ隊長と出会ったのは去年8月。ウクライナ軍の偵察部隊の拠点で、人懐っこい笑顔で取材を受け入れてくれたのです。オレグ隊長は、妻をドイツに避難させ、ヘルソンでの戦闘に参加していました。

オレグ・クラヴェツ隊長(50)

「農村や町を徹底的に破壊し、市民をも殲滅するのがロシア軍の戦略です」

不発弾や砲撃の危険があるため、オレグ隊長の部隊の兵士が取材に同行してくれました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「ロシア軍とウクライナ軍が対峙しているウクライナ軍側の前線地域に来ています。ここは退避壕ですけれども、兵士がここで寝泊まりもしているということです。ここには5つのベッドがあり、そこにあるのはロウソクや食べ物の缶詰などが置かれています」

去年、ヘルソン州西部のこの村は、ロシア軍の激しい攻撃にさらされていました。取材中に、砲撃があり地下の防空壕に兵士とともに避難…。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「またですね、大きな爆発音が聞こえました。いま地下に避難しています」


撮影:アジアプレス

そして今年5月、人懐っこい笑顔が印象的な、あのオレグ隊長の訃報が今回の取材中に届きました。オレグ隊長が、5月11日、バフムトの前線の塹壕で、ロシア軍からの攻撃を受けて、部下の兵士6人とともに命を落としたのです。玉本は、ミコライウで行われた葬儀にかけつけました。


撮影:アジアプレス

同じ部隊の親友 ルスラン中尉

「彼はいつも他人のことを第一に考える素晴らしい人で、他の兵士のお手本でした。彼は多くの戦争を経験した真の戦士でした」

初めて出会った時に、分厚い手で、玉本に力強く握手してくれたオレグ隊長。


撮影:アジアプレス

隊長を慕っていた兵士たちが棺を抱えました。


撮影:アジアプレス

葬儀では、隊長の妻も避難先のドイツから駆け付け、夫を見送りました。ロシア軍との終わりの見えない戦いが続く中、これが、ウクライナの日常風景なのです。

■ウクライナの兵士たちが向き合う戦場の現実

上山

まさに戦争、戦場の現実を突きつけられたような気持ちがします。こちらの写真は玉本さんが、去年8月にヘルソン州の村でオレグ隊長を取材している時の様子です。当時は最前線でオレグ隊長、ロシア軍の支配地域を偵察する重要な任務をしていたということです。本当に優しい笑顔というか、優しい目をしていらっしゃる方だなと思いました。ただ、今回の取材中に、本当に悲しいことに、訃報が入ったということですが、それを耳にされた時にはどのように思われましたか。

玉本

非常に気さくな方で、私が行った時も「遠い国からよく来たね、しっかり取材してくれ」ということで、手をギュッと握って握手してくれたことを思い出します。ヘルソンの奪還後、彼はバフムトに移り、前線で亡くなった兵士や負傷兵の移送の任務に就いていました。それでこういうことが起きてしまった。


撮影:アジアプレス

私も様々な戦地で取材をしているので、こういったことが起きるかもしれないということは、いつも心のどこかにはあるんですが、やはり非常に、私にとってはショックでした。奥さんのオレナさんですが、ドイツに避難されていましたが、突然の訃報に帰国したんです。無言で体を震わせている姿に、非常に胸が詰まりました。

上山

玉本さんもオレグ隊長の葬儀には参加されたということですが、やはりこういったことがウクライナでは日常ということになるのでしょうか。

玉本

そうですね。かなりの兵士が亡くなっているというのを感じます。お墓に行くとウクライナの国旗がたなびいていて、真新しい十字架がいくつも建てられていて、そこには生年月日と、戦死日、顔写真が添えられているのですね。どれだけの家族がお墓の前で嘆き悲しんでいるんだろうということを考えます。


撮影:アジアプレス

同時に、やはりこの侵攻作戦に動員されて戦死したロシア側の兵士の側にも悲しむ家族はいるのではないかという現実についても考えてしまいます。

上山

ウクライナ兵はロシア兵と対峙しているかと思いますが、この戦闘の印象についてウクライナ兵はどのような話をしていたのでしょうか。

玉本

私が今年ヘルソンで取材したドローンの偵察部隊のウクライナ兵ですが、彼が言っていたのは、末端の兵士は別として、将校クラスは非常に洗練されている。部隊運用にも長けていて、武器や装備もあると言っていました。ですから彼が言っていたのは、西側のメディアはちょっと楽観的ではないかということだったんです。私たちが日頃メディアで接するような、ロシア軍は武器もなくて、ぼろぼろで混乱しているというような情報を、そのまま受け取るべきではないということを何人ものウクライナ軍の兵士と話をする中で感じました。

■危険と隣り合わせの生活…住民に呼びかけ切実

上山

こちらは、玉本さんが、現地取材の際に入手したポスターです。

上の黒い文字は「注意!弾薬や地雷は命を奪う危険性がある」と警告し、弾薬などの写真が載っています。その下には「危険物から離れ、101番に電話を!」と書かれています。

さらに玉本さんのお手元には、住民に配られているパンフレットもあります。

玉本

これは、ザポリージャ州の消防署を取材した時に、指令隊長からいただいたものなのですが、「見たら触れないで」と書かれています。そして、様々な爆発物の写真を載せています。これで注意を促しているわけですね。この中には子供のおもちゃみたいなものや、あとクラスターの小爆弾などの写真が載っています。

国家非常事態庁の特殊処理班が爆発物の処理に当たり、住民から通報が来ると向かうのですが、あまりにも地雷や不発弾が多くて、全てにはまだ対応しきれないという状況ですね。そのため、このようなパンフレットやポスターで住民に注意を呼びかけているわけです。

上山

ここにありましたけれども、おもちゃの形をしたものがありますが、これも爆弾、爆薬っていうこととなんでしょうか。

玉本

そうです。これを見たら、誰でも、子供であれば触ると思うんですけども、おもちゃに見えるので。非常に私自身もショックでした。おもちゃのほか、キャンディの箱なども危険なので、むやみに触らないようにと書いてあります。

上山

どうなのでしょうか。ウクライナには広大な農地が広がっていると思うのですけれども、そういったところに対する不発弾。それから地雷の処理というものは進んでいるんでしょうか?

玉本

あまりにも多いので、すべての処理までは、なかなか進まないというところです。広大な農地に、畑に残る不発弾とか地雷というのは後回しになっているのが現状です。ですから戦闘がなくなって人がすぐ戻って、また新しく畑を耕すということが、やはりなかなかできないのです。


撮影:アジアプレス

先ほどのVTRのナターシャさんも、自宅の敷地に4発の砲弾の一部が刺さったままで。あれは爆発しないと確認されている部分なのですが、ただ、やはりナターシャさんからすると、不安なので触りたくないということでそのままにしていると。ですから、帰還しても不発弾とかがあるかもしれない中で、人々は不安な生活を送っています。なかなか帰還が難しいという一つの原因でもあります。

上山

様々な事情で避難できない方々がいらっしゃると思うのですけれど、それでもやはり、その土地に住み続けるためには、まず地雷などと隣り合わせの生活ということになるのですね。

■ミサイルが直撃した集合住宅

上山

そして玉本さんですが、これからお伝えする現場の取材でも、強い衝撃を受けて憤りを覚えたということなんです。ロシア軍の攻撃を受けた、集合住宅の現場です。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「私がいるここは集合住宅の6階部分ですが、すべて、ここの部分が崩れ落ちています」


撮影:アジアプレス

ロシア軍の侵攻から1年半…。ウクライナ各地ではミサイルやドローンなどの攻撃で、子どもを含む住民の犠牲が絶えない状況が続いています。

今年4月、ウクライナ中部のウマニで、午前4時に9階建ての集合住宅にロシア軍のミサイルがさく裂。建物の上から下まで崩落し、子ども6人を含む住民23人が亡くなりました。

ヘレナさん

「私たちと子どもたちは6階に住んでいました。明け方、みんなが熟睡しているときに攻撃があったのです」


撮影:アジアプレス

6階で娘夫婦と孫と暮らしていた教師のヘレナさんです。孫は無事でしたが、別の部屋で寝ていた娘のスヴィトラーナさん32歳と、その夫のヤロスラフさん28歳が犠牲になりました。戦争前は海外旅行に出かけるなど、仲がいい夫婦だったといいます。

ヘレナさん

「どうか生きて見つかってほしいと願いましたが、奇跡は起きませんでした。入口付近は焼け落ちて、そこにいた人たちは すべて亡くなりました」

娘の夫の遺体の一部は瓦礫の中から見つかりましたが、頭部と腕が見つからない状態のまま、埋葬されました。


撮影:アジアプレス

玉本英子

「ここには亡くなった市民23人の写真が掲げられています」

6人の子どもも犠牲となり、同級生が花とぬいぐるみを手向けていました。現場は学校の近くにあり、多くの子どもたちが、犠牲になった友達の写真を見つめ、ここで足を止めていました。


撮影:アジアプレス

同級生の少女

「私たちの街でこんなことが起こるなんて、残念で信じられない。言葉では言い表せないです」

「それは悪夢だと思いたかったが、事実でした」

■「戦争で犠牲になるのは力なき市民」

上山

ロシア軍はウクライナ各地の民間の施設に攻撃を続けていて、一般市民の方々の犠牲者も増えている状況です。玉本さんは、実際に被害の現場に立たれて、どのような印象を受けましたか。

玉本

このウマニの現場では23人の方が亡くなって、うち6人が子供だったんですね。この現場のそばに学校があって、子供たちがよく通るのですが、集合住宅の前で呆然とした表情で立ち尽くす子供を何人も見ました。声をかけると、この現場近くに住んでいる子たちなので、当時のことを覚えています。夜中の4時に大きな音がして、窓ガラスが割れて家が揺れたと言っていました。「今も夜、眠れない」とか「防空サイレンが鳴ると泣いてしまう」とか、そういう子たちがいました。やはり子供たちの心の傷も心配です。

上山

そういった心の傷のケアもしていかなきゃいけない状況だと思います。玉本さんは今回の取材を通して、強く感じたことがあるとお話しになっていますが、どのようなことですか。

玉本

ミサイル攻撃で住民が亡くなった現場などをいくつも見てきましたけれども、「なぜこんなことが…」と、人々は涙を流していました。攻撃を続けるロシア軍やロシア政府に責任がありますが、この非道を止められないでいる国際社会の無力さ、その責任も重いと感じています。

戦争というのは一旦始まると容易に止めることはできません。そして犠牲になるのは、やはり今回、お伝えしたような高齢者だったり、子供だったり、力なき市民なんです。それは人ごとではないと私は思っています。ですから、同じ時代を生きる人々がどんな過酷な状況にあるのか、これからも心を寄せていただきたいと思っています。

上山

杉田さん。今回の戦争については、ウクライナは、本当に何にも悪くないというか、プーチン大統領が始めた戦争だと、よく言われますが、杉田さんは、この玉本さんの取材を通してどのようなことをお感じになりましたか。

杉田

きょうは非常に、玉本さんから現地の迫力ある映像と、現場を見た記者でしか語れない話を色々、聞きました。一つは、西側の情報は楽観的過ぎる、ロシア軍は強いというお話ですね。現場取材ならではの成果だと思います。それからもう一つ、同じように死んでいるロシアの兵士についても思いを話す必要があると玉本さんはお話をされました。現場取材でしかあり得ない、戦争の悲惨さを伝える話です。

日本は明後日、終戦記念日ですが、今、平和をしっかりかみしめる時だと思います。何よりも、やはり玉本さんがおっしゃったように、戦争は一旦始めたら止められない。このことを肝に銘じて戦争は絶対起こさない。そういう思いを強めています。

 
(2023年8月13日放送)

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【玉本英子ルポ破壊された街】砲撃の連続で“民間人犠牲”戦禍の現実◆日曜スクープ◆

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■ジャーナリスト 綿井健陽さんのウクライナ現地取材の特集もご覧になっていただけます。

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