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#109

熱中ゲスト:歌手・俳優  ミッキー・カーチス

歌手・俳優  ミッキー・カーチス

ゲストは歌手で俳優のミッキー・カーチスさん。1958年から始まった日劇ウエスタンカーニバルで「ロカビリー三人男」の一人として熱狂的なブームを巻き起こした。その後、歌手、俳優や音楽プロデューサー、そして落語家としても活躍してきたミッキーさんの“自由な生き方”と“人生を楽しむ秘訣”に迫る。

大熱狂の日劇ウエスタンカーニバル

1958年に始まった日劇ウエスタンカーニバル。そこで注目を集めたのが、ロカビリーを歌う3人の若者たちだった。平尾昌晃、山下敬二郎、そしてミッキー・カーチス。彼らは「ロカビリー三人男」と呼ばれ、ロカビリーブームを巻き起こした。紙テープが飛び交い、ファンがステージに乱入するという、今では考えられない“過激”なコンサート…大熱狂のブームの裏側と当時のミッキーさんの意外な“想い”とは―。当時の貴重な映像もたっぷりと紹介する。

過酷な中でも忘れぬ“豊かさ”…戦争中の暮らし

1938年、ミッキーさんは日本人とイギリス人のハーフの両親のもとに生まれた。太平洋戦争が始まると一家を受け入れてくれる疎開先が見つからず、上海へ移住。現地の国民学校ではいじめに遭ったという。さらに、ハーフでバイリンガルの母・百合子さんもスパイに疑われ憲兵に睨まれていた。そんな過酷な暮らしの中で支えとなったのが、英字新聞社で映画の批評を書いていた百合子さんの明るさだった。百合子さんと仲間たちとの、“心の豊かさを忘れない暮らし”とは―。

海外進出から音楽プロデューサーへ

ミッキーさんはバンドを率いて1967年からヨーロッパ各地を周り、耳の肥えた聴衆を魅了した。ロックの本場で勝負に出た理由を「自分の実力を試したかったから」だと語るミッキーさん。帰国後には、日本初のフリー音楽プロデューサーとしてガロやキャロルのプロデュースを手掛け、次々と名曲を世に送り出していった。キャロルの矢沢永吉さんとの出会いでは、矢沢さんのある“一言”で彼がブレイクするだろうと悟ったという。また、元ガロの大野真澄さんが、ミッキーさんとのレコーディング秘話を語る。

“多彩な顔を持つ男”の人生の楽しみ方

ミッキーさんは歌手や俳優以外にも興味が沸いたものに貪欲にチャレンジを続けてきた。その活動は自動車レース、生け花、60歳を過ぎて始めたハーモニカなど多岐にわたる。中でも、56歳で立川談志のもとに弟子入りして始めた落語では、“ミッキー亭カーチス”として真打ちにまで昇進した。今回、ミッキー亭カーチスの貴重な落語映像を紹介。そして、ミッキーさんと談志師匠との運命的な“出会い”のエピソードを披露する。さらに、多彩な顔を持つミッキーさんが伝授する、「楽しく生きるコツ」とは―。

個性的!?年下妻とタイへ移住

2008年に33歳年下の女性と結婚したミッキーさん。夫婦は昨年、タイのプーケットに移住した。ミッキーさんが「とても変わっている」と語る奥さんとの結婚秘話と、プーケットでの移住生活とは―。また、最近ミッキーさんが奥さんの“指導”のもと克服したという苦手だったものがイラスト。スタジオに特訓前と後のイラストが登場。そのあまりの上達ぶりに進藤と鴻上も大仰天!

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没後40周年 エルビス・プレスリー人気の曲 ベスト5

1977年に42歳の若さで亡くなり、没後40周年を迎えるエルビス・プレスリーを取り上げる。「キング・オブ・ロックンロール」の異名を持ち、今でも熱中世代をはじめ幅広い
ファンの心を魅了する。
またエルビスがテレビに初登場したときの貴重な映像も紹介する。
スタジオではエルビスに大きな影響を受けたというミッキーさんも、好きだからこその
複雑な心境を語った。
「ロックの帝王」が残した数々の名曲の中から熱中世代に選ばれたベスト5とは…

歌手・俳優  ミッキー・カーチス
1938年 東京生まれ。
戦時中、疎開で上海に渡り幼少期を過ごす。敗戦後、7歳で帰国。
俳優としては、58年岡本喜八監督作品「結婚のすべて」以来、映画の出演本数は130本を越えた。
「KAMIKAZE TAXI」ではキネマ旬報助演男優賞を受賞。
また、落語家としても精進を重ね、
「ミッキー亭カーチス」の名で立川流の真打として高座にも立つ。