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#103
熱中ゲスト:女優 岡田茉莉子 <後編>
岡田茉莉子さん
1933年東京生まれ。
父は俳優 岡田時彦、母は宝塚歌劇の田鶴園子。
1951年、成瀬巳喜男監督「舞姫」で女優デビュー。1957年に東宝をはなれ、フリーを経て松竹と契約。
小津安二郎、木下恵介などの名監督に愛され、日本
映画を代表する女優として活躍。
1962年には出演100本記念映画「秋津温泉」の主演とプロデューサーを務め、毎日映画コンクール女優主演賞などを受賞。1964年に吉田喜重監督と結婚。
舞台、テレビでも活躍の場を広げる。
「エロス+虐殺」「鏡の女たち」など吉田監督との
作品は国際的にも高い評価を受けている。
1933年東京生まれ。
父は俳優 岡田時彦、母は宝塚歌劇の田鶴園子。
1951年、成瀬巳喜男監督「舞姫」で女優デビュー。1957年に東宝をはなれ、フリーを経て松竹と契約。
小津安二郎、木下恵介などの名監督に愛され、日本
映画を代表する女優として活躍。
1962年には出演100本記念映画「秋津温泉」の主演とプロデューサーを務め、毎日映画コンクール女優主演賞などを受賞。1964年に吉田喜重監督と結婚。
舞台、テレビでも活躍の場を広げる。
「エロス+虐殺」「鏡の女たち」など吉田監督との
作品は国際的にも高い評価を受けている。
女優 岡田茉莉子 <後編>
ゲストに女優の岡田茉莉子さんを迎えた後編。65年の女優人生を走り続ける岡田さん。 東宝からフリーになる“覚悟”、そして松竹の看板女優として活躍しながら自ら映画のプロデュースもこなした強い想いに迫る、また映画監督で夫の吉田喜重さんとの出会いと独立プロを立ち上げ夫婦で作品を作り続ける絆と情熱に迫る。それはまさに岡田さんの“映画女優”としての存在感を物語っていた。
東宝からフリーへ 覚悟の決断
1951年のデビュー以来、東宝で人気女優として活躍していた岡田さんは1957年、東宝を飛び出しフリーに。その後、松竹の看板女優として大きく飛躍することになる岡田さんだが、フリー転身の裏には“母との約束”と、女優としてのある“覚悟”があった。
最愛の夫・吉田喜重監督との出会い
松竹の専属女優となった岡田さんは28歳で映画『熱愛者』の主演とプロデューサーを務める。その成功を受けて。自身の映画出演100作記念作品『秋津温泉』をプロデュースすることとなる。岡田さんがこの映画の監督として指名したのが、当時新進気鋭の活躍をみせていた吉田喜重監督。こうして出会った二人は恋に落ち、1964年に結婚した。二人の仲が急速に縮まったきっかけとなったのが『秋津温泉』の受賞記念パーティ。この映画を最後に女優を辞めようと考えていることを吉田監督に話した岡田さんは、吉田監督からのある“言葉”を聞き、引退を思いとどまる。その“言葉”とは―。さらに、吉田監督が二人の“知られざる結婚秘話”をVTRで語る。
二人三脚での映画作り
結婚した吉田監督は松竹を退社。岡田さんも「夫婦で同じ道を歩きたい」と、松竹との専属契約を終了し、夫婦で独立プロを立ち上げる。その後、金銭的な苦労もしながら二人で作った映画は11本。これらの前衛的で芸術性の高い作品は、国内外で高い評価を受けた。中でも二人の思い入れの強い作品が「鏡の女たち」(2003)だ。広島の原爆がテーマとなったこの作品に込めた二人の思いと、吉田監督が「岡田と出会ってよかった」と感じたという、岡田さん渾身の演技とは。映画に人生を懸けてきた、夫婦の情熱に迫る。そして、65年の女優生活を送ってきた岡田さんが語る“女優として大切なもの”とは―。
夫婦円満の秘訣
岡田さんと吉田監督は2014年の金婚式で、結婚式を挙げたドイツを再び訪れた。いつまでも仲睦まじい二人が語る“夫婦円満”の秘訣とは―。そして、岡田さんがいつまでも現役の女優でいるため心がけているという「料理のルール」7箇条を紹介する。さらに、スタジオには夫婦が体調を整えるため毎日愛飲している「根昆布水」も登場。岡田さんの“若さと健康”の秘密に迫る。