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#102

熱中ゲスト:女優 岡田茉莉子 <前編>

女優 岡田茉莉子 <前編>

ゲストは女優の岡田茉莉子さん。65年の女優人生を走り続け、これまでに出演した映画は180本以上に及ぶ。母は元宝塚のスター、父はサイレント映画時代の大スターという家庭に生まれ、1951年に映画「舞姫」で銀幕デビュー。以来名だたる名監督たちの作品に出演し、日本映画の黄金期を支える女優となった。夫は映画監督の吉田喜重さん。独立プロを立ち上げ夫婦で作った作品は、国内外で高い評価を受けている。その波乱万丈な半生と映画にかける情熱を2週にわたり紹介する。

父を知らない少女時代と戦争の記憶

岡田さんの父はサイレント映画時代の大スター、岡田時彦。しかし、岡田さんが1歳の時に父親が亡くなったため、その面影を知らずに育ったという。少女時代は意外にも内気で孤独を愛する少女だった岡田さん。そんな娘を女手一つで育てたのが、元宝塚のスターである母だった。そして、その母こそが少女時代の岡田さんの、“世の中で一番怖い人”だったという…。
太平洋戦争開戦の翌年、母親とともに上海へ渡った岡田さん。その後、戦火に追われるように各地を転々とする生活の中で、幾度となく命の危険を感じたという。疎開先の新潟での機銃掃射、そして東京大空襲…。忘れることのできない戦争の記憶を語る。

亡き父との運命の出会い

女学校に進み演劇部へ入った岡田さんは、亡き父と“運命の出会い”を果たすことになる。偶然観たサイレント映画のことを母に話すと、その映画の主演俳優こそが岡田さんの父親、岡田時彦であると告げられたのである。突然の母からの衝撃の告白…しかし、それを聞いた岡田さんの反応は意外なものだった。

女優・岡田茉莉子の誕生

高校を卒業した岡田さんは東宝に勤める叔父の勧めで、東宝演技研究所へ入所した。すると、わずか入所2週間で映画の準主役として異例の大抜擢を受け、銀幕デビューを果たす。しかし、撮影後に映画の世界に向いていないと感じ、女優を辞めたいと母に相談する。そこで岡田さんは、母から“ある言葉”を聞き、女優を続ける決意を固めた。岡田さんの人生を変えた、母からの “言葉”とは。

岡田茉利子を育てた日本映画の黄金期

たちまちスターダムを駆け上がり、銀幕スターとして活躍するようになった岡田さんは、錚々たる共演者や監督たちと日本映画の黄金期を支えた。そんな華やかな映画界での裏話を語る。そして、中でも思い出深いのが、生前の父とも親しかった巨匠・小津安二郎監督。岡田さんが垣間見た、小津監督の意外な一面とは。

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岡田茉莉子さん
1933年東京生まれ。
父は俳優 岡田時彦、母は宝塚歌劇の田鶴園子。
1951年、成瀬巳喜男監督「舞姫」で女優デビュー。1957年に東宝をはなれ、フリーを経て松竹と契約。
小津安二郎、木下恵介などの名監督に愛され、日本
映画を代表する女優として活躍。
1962年には出演100本記念映画「秋津温泉」の主演とプロデューサーを務め、毎日映画コンクール女優主演賞などを受賞。1964年に吉田喜重監督と結婚。
舞台、テレビでも活躍の場を広げる。
「エロス+虐殺」「鏡の女たち」など吉田監督との
作品は国際的にも高い評価を受けている。