読むバトンタッチ SDGsなマレ人たち

およそ100人の子どもが通う食事付き個別指導型無料塾。
始めたミュージシャンはDVサバイバー
NPO法人 維新隊ユネスコクラブ理事長 濱松敏廣さん

撮影:中たんぺい

 

▼「自分はショートスリーパー」という勘違い

毎晩、父親が帰宅するとピリつく空気感。19時半頃に帰宅してお酒を飲み始めて、しばらくすると豹変する。母親が作った料理がひっくり返され、お皿が宙を舞う。
 
家のなかのものがボコボコに壊される。母親が「やめて!」と泣き叫んでも、止まらない。さまざまな暴力は日常茶飯事。小学生の頃から深夜まで目が冴えて、床に就くのは深夜3時頃だった。「自分はショートスリーパーなんだ」と思っていたけど、身の安全を守るために気が張っていて眠れなかったのだと気づいたのは、大人になってからだった――。
 
「父は大きな会社の役員クラスで、経済的には恵まれていたと思います。でも、僕が幼い時から毎日のようにDV(ドメスティック・バイオレンス/家庭内暴力)が繰り返されていました」
 
メジャーデビューしたミュージシャンで、音楽制作会社の社長でもある濱松敏廣さんは、そう振り返る。濱松さんがNPO法人を立ち上げ、食事付き個別指導型無料塾「ステップアップ塾」を開いたのは、自分と同じような経験をしている子どもたちに、落ち着いて食事や勉強ができる環境を提供しようという思いからだった。
 
生徒は教室の大きさに合わせて5〜15人程度 濱松さん自身指導を担当することも
 

▼高校3年間で貯めた250万円

1976年生まれの濱松さんは、東京の板橋区で生まれ育った。家の外では優秀な会社員なのに、家のなかではまともに会話もできないほど暴力的な父に怯える日々だった。誕生日や記念日にお祝いをするような雰囲気でもなく、家族での楽しい思い出は「あまりない」という。最初の転機は11歳の頃に訪れた。
 
「兄が9歳年上だったんですけど、僕が11歳の時に2回目の受験で失敗して、父とぶつかって家を飛び出したんですよ。兄はいろんなことを相談できる相手だったので、いなくなっちゃった時に、これからどうすりゃいいのって」
 
大きな喪失感を抱いた少年は、兄の影響で始めた楽器のベースに没頭した。それはきっと、目の前の現実から目を逸らすためでもあった。
 
一方で、兄と父の衝突を目の当たりにして、「大学受験時の家庭不和は避けたい」と感じた少年は勉強にも励み、明治大学付属中野高校に進学。大学受験のプレッシャーのないなか自分の部屋にこもり、憧れのベーシストのプレーをひたすら真似た。そのうちにどんどん腕が上がっていった。
 
当時の願いは、なんとしても家を出ること。大学3年生になったら休学して留学に出ようと心に決めて、高校時代から塾の講師と家庭教師を掛け持ちした。時給がいいからという理由で始めたアルバイトが、性に合っていたのだろう。受け持った生徒の紹介でほかの生徒も受け持つということが続いて、高校3年間から大学2年生までに貯金は250万円に達した。
 
ところが、意外な展開で留学を諦めることになる。大学に入ってすぐの頃に組んだバンドがソニー主催のオーディションで高い評価を受け、プロミュージシャンへの道が拓けたのだ。父にその話をしたところ、「そんなことをさせるために大学に行かせたわけじゃない」と言われてしまう。
 
予想通りの反応に気持ちが吹っ切れた濱松さんは、貯めていた留学費用を使って、19歳でひとり暮らしを始めた。父親と物別れに終わったことで大学3年時からの学費も自分で支払うことになり、留学の夢は潰えたが、感じたことのない解放感を味わった。生活費と学費は、続けていた家庭教師と塾講師の稼ぎでまかなった。
 

撮影:中たんぺい

 

▼政治家を目指したバンドマン

その後、バンド名を「QP-DESIGN」と改めた後はライブの観客も増え、注目されるようになった。在学中の4年間をバンド活動に投じた濱松さんは、卒業してからもメジャーデビューを目指してベースを弾き続けた。
 
そしてバンド結成10年目の2004年、濱松さんが28歳の時に音響機器メーカーのクラリオンとフジテレビが主催する大規模なオーディション「WebScholarshipClarionMEDAMA2004」でグランプリに輝く。勢いに乗ってこの後に出場したほかのオーディションでも次々とグランプリを獲得し、ついにメジャーデビューを果たした。受賞の年と翌年にCDを発売し、さあここから! というところで、バンド内に亀裂が入る。
 
「僕は高校生の時から政治家になりたかったんですよ。自分の家族にも共通するんですが、日本という国自体が外面ばかりよくて、中身が伴ってないように感じていたから、日本をもっと良くしたいと思っていたんです。それで、大学1年の時にバンドを組んだメンバーに対しては、10年後、おれは政治家になると伝えていました。それから7、8年経ってバンドが売れそうになってきたタイミングで、おれは予定通り政治の道に進むからほかのメンバーを探してくれと話していたんですが、約束の10年目を迎えた時、メンバーに『音楽を政治利用するな』と言われて、虚しくなったんです」
 
この時に生じた溝は埋まることがないまま、2008年、メンバーへの不信感を拭うためにも「エフカ」というバンドで再出発した。さらに、有限会社「efca」を設立して、テレビや映画で使用される音楽の制作も始めた。政治家には、ならなかった。
 
「いろんな人たちが豊かになれるような仕組み作りに注力したかったのに、無理解な言葉を吐かれて政治家を目指すのが急にバカバカしくなったんです。それで、むしろ政治家にならずともできることあるんじゃないか、身近にできることから始めようと、NPOを立ち上げました」
 
その頃、「地球を守るためには、ゴミを減らすことが大切だ」と考えていた濱松さんは、起業と同じ年、NPO法人・環境維新隊(現在は、維新隊ユネスコクラブに改称)を創設した。
 
バンドQP-DESIGN時代の濱松さん
 

▼論文を読んで違和感を抱いた日

2011年4月、東日本大震災が起きてからおよそ1カ月後、濱松さんは環境維新隊の仲間を率いて被災地を訪ね、救援物資の支援や瓦礫撤去のボランティアをスタートした。それから2年間、音楽制作の仕事を請け負いながら、定期的に被災地に通っていたが、震災に伴う高速道路の無料措置が終わることから、都内でできることはないかと考えるようになった。
 
その際に思い浮かんだのは、被災地で出会った子どもたちの顔。震災で親を亡くした子どもたちの支援はさまざまな機関や企業が先行して行っているなかで、自分たちになにができるのかを調べている時に、お茶の水女子大学の耳塚寛明教授が発表した論文を目にした。その論文は、子どもの学力と家庭所得の相関性を調べたもので、調査の結果、家庭の経済力による学力の格差が明らかになっていた。その論文を読んだ濱松さんの胸のうちが、ザワザワした。
 
「この論文では、子どもの学力と所得だけが紐付けられています。僕の実家は所得が多かったけど、父親が寝静まった夜中にしか安心して勉強できなかった。所得だけで区切ると、そこからこぼれ落ちる子がいると思ったんです」
 
自分の過去の話を交えてその疑問を口にすると、NPOの仲間や周囲の人たちが共感してくれた。そこで、「経済的な理由も含めて、さまざまな家庭の事情で塾に通えない子どもへの学習支援」を始めることにした。ポイントは、高校生、大学生が講師を務めること。それは、濱松さん自身の経験が裏付けにある。
 
「僕は高校時代からお金のために家庭教師をしていましたが、教えることが勉強の振り返りにつながり、学習の深度が高まるんですよね。この経験があったので、高校生から講師をすることに意味があると考えました」
 
もうひとつの特徴は、食事を出すこと。その背景には、濱松さんが立てた仮説がある。
 
「経済格差とは関係なく、隠れた栄養不足の子どもが多いんじゃないかと考えています。僕が小中学生の頃にグレていた友人のなかには、親が食事を作らず、お金だけ渡されて、お菓子ばかり食べている同級生がいました。彼らの家は決して貧しくありません。だから今も、勉強ができないというレッテルを貼られてる子どもたちのなかには、栄養豊富な食事でお腹を満たしてあげれば、やる気を出して勉強をするようになる子どもがいるのではないかと考えました」
 

勉強した後のお楽しみ「食事タイム」 近隣の農家さんも食材を提供してくれている
 

▼学生ボランティアと生徒を集める

高校生、大学生のボランティアが講師を務め、食事を提供する。どんな子でも入塾できるように費用は格安に設定し、個人と企業からの寄付金で賄う。コンセプトは固まったものの、それまでは環境保全をテーマにしていた濱松さんには、ノウハウがない。「本当に子どもが来るのか?」「本当に学生ボランティアが集まるのか?」と疑問の声があったという。それに構わず足を前に進めたのは、自分の少年時代のことが頭にあったからだ。
 
まず、塾の場所は早稲田大学文学部キャンパスの近くにあるレンタルスペースの3階を、週に一度借りることに決めた。1階に入っている飲食店に、1人300円の予算で食事を出してもらうという話も付けた。学生ボランティアに関しては、環境維新隊の活動に出入りしていた学生3人と、早稲田大学の学生をターゲットに募集チラシを配り歩いた。すると、3人の学生から連絡があった。生徒集めも、チラシが有効だった。
 
「ホームページに情報を載せても、そこにたどり着かない人も多いですよね。だから、学生たちと協力して、教室から半径1キロ圏内にある飲食店100店舗にポスターを貼らせてもらいました。それで、20人の子どもが集まりました」
 
20人のなかには、経済的な事情で塾に行けない子どもだけでなく、濱松さんの予想通り、家庭内不和や不登校、ネグレクトなどさまざまな事情を抱える子どもたちがいた。なかには、自分で入りたいと電話してきた中学1年生の男の子もいて、親と関係が悪いというその子は小学校2年生の妹を連れて入塾したそうだ。
 
2014年4月、濱松さんと妻の和香子さん、早稲田大学出身の若者、学生6人の講師と生徒20名で「ステップアップ塾」は始動した。

 

▼日を経るごとに変わっていく子どもたち

塾は週に一度、土曜日の午後に開く。濱松さんは、学生ボランティアにこう伝えた。
 
「学習テクニックを教えるのではなく、子どもたちのお兄ちゃん、お姉ちゃんになってあげてください。この塾に通ってくる子たちの家庭は、安心してご飯を食べて、学べる環境にあるとは限りません。『教えるプロ』にならなくていいから、身内に向けるような目線で子どもに接してください」
 
学生ボランティアはこの言葉を胸に、子どもたちに寄り添った。なにか異変を感じたら、すぐに大人に報告した。その真摯で温かな気持ちが伝わったのだろう。学生ボランティアに、子どもたちはよくなついたという。
 
「人って言葉のコミュニケーションだけじゃなくて、実際に触れ合うことを通して初めていろんなものが育ってくると思うんですよ。むやみにスキンシップを推奨するわけではありませんが、学生におんぶをせがむ子どもたちの姿を見ていると、そこが圧倒的に足りていない気がします。この塾に来る子どもたちは、最初は不愛想だったり、反応が薄い子が多いんですよ。でも、日を経るごとに子どもらしい笑顔になっていきます」
 
最初は手探りだったが、生徒や保護者からの評判は上々で、翌年もすぐに定員の20名が埋まった。3年目以降は、キャンセル待ちが出るようになった。ニーズは高まるばかりで、現在は都内2カ所、福岡県北九州市、群馬県前橋市、高知県高知市の計5カ所で運営されている。それでも、毎年約40名が空き枠を待っているそうだ。
 

クリスマスはサンタ帽で真剣指導 現役高校生・大学生が多数ボランティアで参加
 

▼補助金に頼らない理由

2018年には、平日にも子どもたちの居場所を作るために、トレーラーハウス自習室「STUDY CAMP」を開いた。こちらは小学4年生から高校3年生までの生徒が平日18時から21時まで利用可能で、お菓子と軽食が用意されている。
 
西早稲田から始まった「STUDY CAMP」も、現在は教室のある全5カ所で運営されている。ステップアップ塾、「STUDY CAMP」ともにオンラインでつながっており、どこにいてもボランティアが応対してくれる。この活動に協賛する企業も増え、教材は有料塾と同レベルのものが揃う。
 
学生ボランティアも、順調に集まった。最初にボランティア講師になった学生たちが、早稲田大学のなかに他大学の生徒も参加できるインカレサークルを作ると、毎年、多くの学生が参加するようになった。今では、早稲田大学のほかにも東京大学、お茶の水女子大学や上智大学など200名を超える学生が登録している。
 
悩みの種は、運営資金。人件費や食費など必要経費は塾を始めた当初から企業と個人からの寄付でまかなっているが、決して余裕はない。それでも行政から補助金に頼らず、民間の力でやることに意義があると語る。
 
「僕は、ステップアップ塾の経営者として今の学校教育にはまだまだ改善できることがあると思っています。でも、補助金という形で税金を受け取ってしまうと、意見を言いづらくなるでしょう。それに、補助金で運営されているというと、自分たちが支払っている税金だからと、お客さん扱いを望んでいろいろな要望をしてくる保護者が現れる可能性もありますよね。お互いに敬意をもって接することができるように、補助金とは距離を置いているのです」

 

▼トレーラーハウス自習室「STUDY CAMP」を広める

教育の格差は、行政にとっても喫緊の課題だ。10年間、自立運営でその課題に向き合ってきたNPOは稀有な存在で、今、濱松さんのもとには全国およそ10カ所からステップアップ塾を開いてほしいというオファーが届いているという。
 
しかし、教室を開くとなれば物件を借り、設備を整えるなど先行投資が必要で、資金の負担が大きくなる。そこで、濱松さんは固定資産税がかからず、駐車スペースさえあればどこでも始められるトレーラーハウス自習室「STUDY CAMP」の配置を広げる計画を進めている。
 
濱松さんがそのモデルケースになり得るエリアとして着目しているのは、2023年9月に教室をオープンしたばかりの高知市。高知市は偏差値の高い高校の上位3校が私立で、県民感情の中には「いい教育を受けさせたければ私立に行け」という暗黙の了解があるという。裏を返せば、経済的に余裕がなければその私立高に進学できないという現実がある。
 
高知県は貧困率が日本の都道府県のなかで沖縄に次いで2番目に高く、生活困難世帯とされる家庭が約33%に達する(高知県による独自調査)。こういった課題を抱える高知県のなかでも、ステップアップ塾の取り組みを高く評価している高知市や高知県の行政と協力し合い、補助金を受け取るのではなく、ふるさと納税として民間人から支援を募ることを想定している。
 
「ふるさと納税の寄付金控除を受けられる形で、それぞれの町にあなたの名前で自習室を作りませんか? という仕掛けを準備しています。高知市や高知県内の町や村に今後10年間で10から15カ所のトレーラーハウスを設置したいですね」
 
トレーラーハウスで高知県の現状を改善しながら、もう一方で食事と勉強をしっかりとサポートできる教室も全国に広めていく。2022年、日本ユネスコ協会連盟から活動が認められ、新しく教室を開くごとに助成金を得られるようになったのは、NPOにとって大きなステップアップだ。
 

濱松さんが広げたいと考えているトレーラーハウス自習室「STUDY CAMP」
 

▼400人以上の子どもと接して得た自信

2014年に運営を始めてから10年、濱松さんはこれまで400人以上の子どもたちと接してきた。そのなかには、経済的は問題ないにも関わらず、自宅に調理器具がない、理由をつけて食事を作ってもらえないなど、日々、満足に食事をとれない子どもたちもいた。だからこそ、食事を提供することの効果を実感している。
 
「ご飯を出すと、喜んでモリモリ食べますよ。それでわかりやすいぐらい勉強への意欲が高まって、成績がアップする子どももいます。一緒に食事をとると距離が縮まるので、自分のなかで抱えていることも話してくれるようになるんですよね。入塾したての春頃はみんな表情が硬いんですけど、1月、2月ぐらいになると明るくなるんですよ。卒業が近づく子はすごく寂しそうで、塾から帰ろうとしないんです(笑)」
 
休憩時間の一コマ 冬を迎える頃には生徒たちも打ち解け笑い声もあがる
 

ともに学び、食卓を囲む。その営みによって、ステップアップ塾は子どもにとってのサードプレイスになった。そういう場になることで、はじめて勉強って面白い、勉強しようかなと前向きに感じる余裕が生まれるのだろう。生徒のなかには大学に進学して、学生ボランティアとしてステップアップ塾に戻ってくる子もいるという。
 
会社を経営しつつ、NPOの代表として5つの教室を運営し、さらに拡張する計画を進めながら、ひとりの父親として子育てもしている。なんとも慌ただしい日々だが、濱松さんは自身の活動に確かな手応えを感じている。
 
「もし僕が子どもの時この塾に通っていたら、なにか変わっただろうなと思えるぐらい、いい塾になっている気がします。僕は11歳の時に相談できる兄貴がいなくなったけど、ここでなら本当にいいロールモデルに出会えるし。自分が行きたいと思える塾を作って、子どもたちが変わっていく姿を見ることで、僕自身も救われているんですよ。だからこそ、これからもしっかりこの取り組みを広げていきたいですね」
 
自身を「税金をもらわない政治家」と表現する男は、教室で勉強を教え、料理を振る舞いながら、子どもたちの未来に思いを馳せている。同時に、まだ表に出てきていない、自分で声をあげられない子どもたちに、どう手を差し伸べるのかを考え続けている。

 

「バトンタッチ SDGsはじめてます」 濱松敏廣さんの回は2月3日18時半~より放送
放送終了後、期間限定で無料配信もしております。

 


 

著者プロフィール

 

川内イオ

 

稀人ハンター 1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。全国に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」を目指す。この目標を実現するために、2023年3月より、「稀人ハンタースクール」開校。全国に散らばる一期生とともに、稀人の発掘を加速させる。近著に『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』(主婦の友社)。