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新・にほん風景遺産「明治150年スペシャル」

西郷隆盛 薩摩の明治維新~少年時代から西南戦争を辿る~

維新の三傑に名を連ねる西郷隆盛。薩長同盟の締結や江戸城無血開城など、明治維新を成し遂げた立役者の一人です。1827年、江戸時代には下級武士の居住地だった加治屋町で西郷は生まれ育ちました。そこは生涯の親友でありライバルでもある大久保利通や東郷平八郎、第16・22代内閣総理大臣・山本権兵衛など、江戸から明治にかけて活躍した多くの政治家・軍人などの著名人の出身地。少年時代、西郷が学んだのが薩摩藩独自の青少年教育制度「郷中教育」です。地域の子供たちの中で年長者が年少者の教育を行い、武芸や道徳など心身の鍛錬が行われました。
明治政府樹立後、要職に就いていた西郷ですが、征韓論で敗れ帰郷。下野した西郷は県内各地の野山へ出掛け、ウサギ狩りや温泉で保養したといわれます。一方で共に官職を辞した青年や士族たちのために私学校を設立。やがて西南戦争に突入し1877年、鹿児島市内で自害。その生涯を閉じます。
西郷隆盛の人生を辿り、故郷であり終焉の地でもある鹿児島市内と下野後に心癒した指宿を旅するのは作家・島田雅彦。鹿児島市内では、西郷も見た雄大な桜島の風景や今も残る郷中教育の「野太刀自顕流」と出会い、少年時代に想いを馳せ、西郷も愛した豚骨料理を堪能。そして、指宿では下野した西郷を癒した薩摩富士「開聞岳」の絶景や温泉を楽しみながら、西郷隆盛の足跡を辿ります。また、薩摩琵琶奏者の加治木島津家・第十三代当主に出会い、西郷の愛した薩摩琵琶の激しくも美しい音色に酔いしれ、共に西郷隆盛の終焉の地へと赴き、その人生に想いを馳せます。


宮崎の明治維新 飫肥藩~大国薩摩に挑んだ小藩の誇り~

宮崎県の南部、日南市にある飫肥は“九州の小京都”と評される美しい城下町が広がります。江戸時代初期の町割りを維持し、飫肥城から順に上級家臣、中級家臣、町家、下級家臣と屋敷を配置。城下町の外側を外堀を兼ねた酒谷川が流れる風景は、地方における小規模な城下町の典型的なものとして、1977年に重要伝統的建造物群保護地区に選定されました。
戦国時代、飫肥藩は島津氏の治める薩摩藩に対する最前線として100年に渡り争ってきました。江戸時代を通じ、わずか五万一千石の飫肥藩が七十七万石の薩摩藩に対峙、監視する役目を担ってきました。小藩飫肥が大藩薩摩を互角に渡り合っていけたのは、実直な交渉術と未来を見据えた人材育成にありました。
飫肥の歴史を辿り、宮崎の中の薩摩といわれた都城を旅するのは俳優・中本賢。城下町で郷土料理「飫肥天」や「おきよせんべい」を堪能し、飫肥石が積まれた美しい石垣が続く武家屋敷を巡ります。飫肥の貴重な財源である「飫肥杉」を巡って薩摩と争った牛の峠を訪れ、勝利を祝して踊ったといわれる伝統芸能「泰平踊り」に出合います。飫肥の港町・油津では、飫肥杉を運搬するために開削された「堀川運河」を歩き、当時に思いを馳せます。また、人材育成の礎となった藩校「振徳堂」を訪ね、飫肥の偉人・小倉処平を知り、西南戦争に参加した藩士の子孫に出会い、宮崎が歩んだ明治維新を辿ります。