Ne kuni me, ne ruzi me. majko
do not scold me, do not rebuke me, mother,
do not ask me about my destiny
everything i had i gave away for her
do not scold me, do not rebuke me, mother,
wherever i go, i think about her, mother,
enormous sadness follows me everywhere
day and night i think about her, mother
do not scold me, do not rebuke me, mother
南セルビアの町、Vladicin Han(ブラディチェ・ハン)出身のボバン&マルコ・マルコヴィッチ・オーケストラ(Boban Marković Orkestar)は、バルカンブラスとジプシーの伝統を引き継ぐ、13人のメンバーによるブラスバンドだ。 セルビアの中部、グチャ(Guca)村で1961年から毎年開催されている音楽フェスティバルは60万人もの聴衆を集め、世界的に活躍する多くのバンドが生まれる登竜門でもある。彼らはここで数々の栄冠を獲得し、80年代より活躍してきた。セルビアの映画監督エミール・クストリッツァの「アリゾナドリーム」や「アンダーグランド」にも起用されている。
■音楽家紹介
Boban Markovic (ボバン・マルコヴィッチ)
1964年5月、ジプシーの祝祭日として最も重要な聖ジョージの日に生まれる。彼の故郷、南セルビアのVladicin Han(ブラディチェ・ハン)は、ロマ、ジプシーの伝統と豊かな音楽文化を受け継ぐ地である。
ボバンの父も祖父も音楽家であった。5歳からトランペットを学び、村の友人たちと演奏を始めた。サッカー少年でもあったが、トランペット奏者になることを目指し、父の催すコンサートや結婚式の演奏で技を磨き、20歳で自分のオーケストラを立ち上げた。
トランペット奏者として数々の栄誉を受賞し、世界的に活躍するようになる。
こんなエピソードがある。ロンドンのオーケストラに、世界中のトランペットマエストロの一人として招かれた。リハーサルで楽譜を渡されたが、彼は譜面で音楽を学んでいないため、リハーサルができないという事態になった。ボバンは常に耳で覚え、ハートから生まれるものを音にしてきたのだから。結局指揮者が楽曲を演奏し、それをその場で耳で覚えて本番に臨んだと言う。
2006年から息子マルコが18歳でバンドの一員となる。マルコは現在バンドのメインソリスト、アレンジャーとして活躍し、世界でツアーを行い数々の作品を発表している。
Marko Markovic(マルコ・マルコヴィッチ)
1988年生まれ。家族と共に南セルビアのブラディチン・ハンで育つ。
父ボバンはバンドのツアーやレコーディングで家にいる時間はわずかであったが、父を敬愛し強く憧れるマルコは、5歳からトランペットの練習を始め父を目指した。トランペットへの情熱は続き、子供時代の午後はすべて練習に打ち込んだ。
彼の最初のトランペットの先生は、父ボバンの師でもあった祖父だったという。
ボバンはマルコを家に残し、旧ユーゴスラアビアやヨーロッパを巡るツアーにあけくれ、マルコが12歳になるまで息子の才能に全く目を向けなかったと言う。ある日、ボバンの妻が、息子の練習の成果をほんの少しでいいから聴いて欲しいと強く迫った。そしてボバンは、息子の素晴らしい上達ぶりに驚嘆することになる。いくつか伝統的な曲を弾いてみてくれとマルコに頼むと、見事な演奏をボバンに披露した。今までずっと目を留めてこなかった息子の音楽に感動した彼は、遂に息子をバンドの一員に迎えることになる。
マルコが14歳の時、帰宅したボバンはマルコに言った。鞄に荷物をまとめてオーケストラに加わるようにと。リハーサルも必要なかった。マルコはハートから生まれる曲をもう学んでいたのだった。11歳からずっと、一日10時間も練習してきた彼の夢は、ただの子供時代の憧れに終わらなかった。2002年からツアーに参加し、マルコの演奏と作曲への情熱はメンバーの信頼を集め、今ではメインソリスト、そしてアレンジャーとしてバンドを率いている。
エミール・クストリッツァプロデュースによる映画「Gucha! The Distant Trumpet」にアクターとして参加し、音楽も演奏している。
■Louis の歌
Episode5で、ボバン・マルコヴィッチが熱唱する曲は、セルビアの人々に愛される名曲である。旧ユーゴスラビア生まれのセルビアのシンガーLouisによるもの。少年の頃に、ルイ・アームズトロングのパフォーマンスでその名を知られるようになったことから、Louisの名がついた。
2011年7月、交通事故で他界。
Loisへの追悼の心を込めて、ボバンはステージでこの曲を捧げた。
恋人を失った心を歌った詩であるが、その言葉に、故郷を愛し、そして故郷を失う悲しみと隣接し生きてきた、バルカン半島の人々の想いが込められていると思う。
Ne kuni me, ne ruzi me. majko
do not scold me, do not rebuke me, mother,
do not ask me about my destiny
everything i had i gave away for her
do not scold me, do not rebuke me, mother,
wherever i go, i think about her, mother,
enormous sadness follows me everywhere
day and night i think about her, mother
do not scold me, do not rebuke me, mother
叱らないで
責めないで 母さん
どうか尋ねないで 僕の運命を
僕のすべてを彼女に捧げた
叱らないで
責めないで 母さん
どこへ行こうと彼女を思うだろう 母さん
大きな哀しみが僕の後をついてくる
昼も夜も彼女を思うよ 母さん
叱らないで
責めないで
母さん