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#80

秀吉の出世と破滅〜姫路城・有馬温泉〜

今回は兵庫県で、京都と深い繋がりを持つ豊臣秀吉の出世と破滅の物語を辿る旅に出ます。旅人は俳優の中村雅俊さんです。
比類なき美しさを誇る世界遺産、姫路城。白漆喰が施された城の姿が、羽を広げた白鷺に似ていることから「白鷺城」と呼ばれ親しまれています。実は姫路城、「秀吉の出世城」と呼ばれています。本能寺の変直後、秀吉が成し遂げた奇跡のような出来事が関わっていました。
そんな姫路城ですが、天守が設けられたのは秀吉が城主になってからだといいます。しかし、秀吉時代の天守は現在の姿とは異なるものであったと伝えられています。その意外な姿とは?そして、普段は見ることができない秀吉時代の遺構を特別に拝見します。
秀吉は姫路の産業の発展にも関わっていました。市内を流れる市川のほとり「新敏製革所」では、秀吉が愛用した「白なめし」の革を製造しています。その製法を間近で見学し、秀吉がこの革を愛用した理由を紐解きます。

関西の奥座敷「有馬温泉」。秀吉はこの地をこよなく愛し、9度訪れたという記録が残されています。姫路城で出世を果たした秀吉は、有馬温泉で栄華を極めました。その証とも言えるのが、有馬温泉で3回開催された大茶会。その規模は、北野大茶湯にも劣らなかったと言います。しかし、その茶会の後から秀吉の運命の歯車は狂い始め、破滅への道を歩むことになります。千利休への切腹命令や、溺愛していた息子・鶴松の死が秀吉を苦しめました。その苦しみから逃れるように、秀吉はこの有馬温泉に浸かりながら、朝鮮出兵を決断したと言われています。さらに、有馬温泉には秀吉の死後もその凋落の影が残されています。秀吉が建てた「湯山御殿」は、家康によって取り壊され地中に埋められましたが、阪神大震災の際に400年ぶりに姿を現しました。その遺構を拝見します。
さらに、有馬温泉最古の宿で、この地で生まれたおもてなし料理「山家料理」を堪能します。