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#70

藤原道長 奈良でルーツを探る

今回は、俳優・中村雅俊さんが笑い飯・哲夫さんの案内のもと、大河ドラマで話題の藤原氏のルーツを探るため、京都を飛び出して奈良へ。
最初に訪れるのは、飛鳥時代の天皇の宮だった飛鳥宮跡。この場所で起こったのが、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」です。実はこのクーデターに関わった中臣鎌足こそ、藤原氏の始まり。
なぜ中臣鎌足が藤原性を名乗るようになったのか?その理由を紐解くために、藤原鎌足を御祭神として祀る談山神社へ。ここで見せていただくのは、鎌足の活躍が記された絵巻。そこには談山神社の裏山で、鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿を討つ計画を企ているシーンが描かれています。その密談の時に二人の頭上には藤の花が咲いていたといいます。鎌足は中大兄皇子から「計画を成功させたあかつきには、この美しい藤の花のような名前を授けよう」と、藤原の性が与えられたのです。
そんな鎌足から始まる藤原氏がどれほどの権力を持っていたのか?そのことを知るために藤原氏の氏寺、興福寺へ。この場所と深いゆかりを持つのが鎌足の次男・藤原不比等です。不比等は、平城京を造営し、藤原氏繁栄の礎を築いた人物。その功績を称え、不比等の死後に創建された国宝・北円堂や不比等が創建した中金堂を拝見。実は今の奈良県全土に及ぶほどの荘園を有していたという興福寺。さらにその権力を象徴しているのが、所蔵している国宝の仏像の数。なんと日本国内の国宝の仏像の多くが興福寺に所蔵されているのです。その中でもひと際目を引く阿修羅像ともご対面。哲夫さんによる仏像講義は必見です。
不比等の邸宅跡に建てられた法華寺で教えていただくのは、不比等をはじめ藤原氏がどのように権力を掌握していったのか?そこには驚きの戦略が。
藤原氏の氏神様を祀る春日大社。神仏習合の時代、この社と興福寺は一体となり、平城京を守ってきました。その名残りを感じる行事とは? さらに平安京遷都により京都に移った藤原氏と奈良を繋げるものを見せていただきます。
そして最後は、哲夫さんがおすすめする奈良の名店で旅を締めくくります。


【専門家出演者】
●笑い飯哲夫さん