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#28

清水寺 なぜ人は集うのか 

いま、世界から多くの観光客を迎える京都の中で、最も多くの人を集める名所が「清水寺」。しかもその人気は、はるか平安時代から続いています。一体なぜなのか?それを探るため、「清水寺が大好き」という賀来千香子さんが旅へ。約500年前の観光ガイド「清水寺参詣曼荼羅」をヒントに、境内の様々な場所を巡りながら、人気の秘密に迫ります。
まず探るのは「現代の参詣者を楽しませる仕掛け」。キーワードは「阿○の狛犬」と「○〇を振る地蔵」。この○の部分にはどんな文字が入るのか?また、清水寺の名前の由来となった「音羽の滝」はなぜ3筋あるのか?賀来さんが実際に楽しみながら、その答えを紐解きます。
続いて、「絶大な観音信仰」について探るため、誰もが知るスポットである「清水の舞台」を眺められる場所へ。平安時代には、かの紫式部も『源氏物語』の中で清水寺の賑わいについて記述。天皇や武将をはじめとした身分の高い人から、やがては庶民にまで広がっていった、清水寺の観音信仰。「清水寺の舞台から飛び降りる」ということわざが生まれたワケとは?
では、その観音信仰はどのようにして生まれたのか?深く関わるのが、清水寺創建のキーマンであり、のちの時代に戦国武将たちが憧れたヒーローだと言います。境内にある「田村堂」と「鹿間塚」を巡ると浮かび上がる人物が、平安時代に活躍した武将、坂上田村麻呂。彼は何を行ったのか?清水寺誕生の物語が明らかに。
清水寺の人気の秘密はさらに、寺が建つ土地自体にも隠されていました。続いて訪ねたのは、本堂の裏にある「地主神社」。実はこの場所は「太古からの聖地」だった?有名な「恋占いの石」に隠されていた、驚きの歴史とは?
また、境内で人気の「舌切茶屋」でも、店名に秘められた壮絶な物語が明らかに。清水寺の知られざる真実と出会います。


【専門家出演者】
●京都旅屋 代表
吉村晋弥 さん

 


 

清水寺 なぜ人は集うのか
京都に都が移されるよりも前に開かれた「清水寺」は、1200年以上にわたり人々を魅了してきた。今回は、賀来千香子が清水寺の広い境内を巡り、歴史をさかのぼりながら人気の秘密を探る!

 

<清水寺>
・住所:〒605-0862 京都市東山区清水一丁目294
・電話:075-551-1234
・公式サイト:https://www.kiyomizudera.or.jp/

 

室町時代のガイドマップ
16世紀半ば、清水寺へ参詣者を案内するために描かれたいにしえのガイドマップ「清水寺参詣曼荼羅」には、今も境内に残る数々の名所が見て取れる。
「鮒鶴京都鴨川リゾート」の屋上からは、清水寺参詣のスタート地点である松原橋から清水寺まで望むことができた。地方からの参詣者は、松原橋で期待を膨らませて清水寺を目指したとのこと!

 

<鮒鶴京都鴨川リゾート>
・住所:〒600-8015京都府京都市下京区木屋町通松原上ル美濃屋町180
・電話:075-351-8541
・公式サイト:https://www.funatsuru.com/restaurant/

 

超ユニーク!阿阿の狛犬
参詣者を楽しませる仕掛けを探るため、清水寺の入り口「仁王門」へ。一般的に狛犬は、口を開けたすべての始まりを意味する「阿形」と、口を閉じたすべての終わりを意味する「吽形」、つまり「阿吽」になっている。
清水寺の狛犬が「阿吽の狛犬」ではなく、「阿阿の狛犬」となっている理由とは?!

 

意外!首振地蔵
続いては境内にある清水寺の塔頭「地蔵院善光寺堂」へ。御堂の右側に置かれている「首振地蔵」は、江戸時代に作られたと伝わる。
回る首には「好きな人の方角に首を向けて祈ると結ばれる」、「借金で首が回らない人を助ける」などの御利益があるという。
首振地蔵の頭には髷があり、手には扇子を持っている。果たしてそのモデルとなった人物とは?!

 

音羽の滝 3筋の理由
次に訪れたのは、清水寺の名前の由来となった音羽の滝。
多くの人がお清めできるように、滝は3筋にわかれているのだとか。こうした数々の仕掛けが、清水寺の人気に繋がっていた!

 

天皇から庶民まで!観音信仰
いよいよ「清水の舞台」を眺められる「奥の院」へ。本堂の内々陣に祀られている本尊は、生きとし生けるもの全てを救済すると言われており、多くの人々が訪れた。
後白河法皇や源頼朝、北条政子なども参拝しており、豊臣秀吉は母の病気の回復のため、清水寺にお米の寄付を申し出て送ったのだとか。こうした観音信仰は、江戸時代になると庶民にも広がった。
観音信仰が広まったことで、清水寺の舞台で起きたブームとは?

 

創建のキーマンは武将が憧れたヒーロー
本堂の入り口近くにある「田村堂」は、平安時代に活躍した武将・坂上田村麻呂が名前の由来となっている。妻のために鹿狩りをしていた坂上田村麻呂は、延鎮上人に殺生を咎められたという。延鎮上人の教えに深く感銘を受けたことで、邸宅の寝殿を寄進し、お堂を建立して御本尊の千手観音を祀ったと伝わる。こうして778年、清水寺が誕生した。

 

舌切茶屋 幕末の秘話
明治時代に創業したという「舌切茶屋」で「抹茶セット」をいただいた。幕末時代、西郷隆盛と共に薩摩に逃れた月照上人を、清水寺の事務などを担当した近藤正慎は陰で支えたという。
しかし、二人の行き先の自白を強いられた近藤は、二人を守るために獄中で舌をかみ切り自害…。店名の由来は命懸けで秘密を守った近藤の功績で、遺族は境内に店を出すことを許されたのだとか。

 

一万年前!太古からの聖地
本堂の後ろに建てられている「地主神社」へ。参詣者に人気の「恋占いの石」は、室町時代の参詣曼荼羅にも描かれている。この石は縄文時代から置かれていたそうで、神事などにも利用されていたと推察されている。
さらに、この神社の特徴について教えていただき、絶景スポットにも案内していただいた!

 

<地主神社>
・住所:〒605-0862 京都市東山区清水一丁目317
・電話:075-541-2097
・公式サイト:https://www.jishujinja.or.jp/