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#177

秀吉 天下取りの立役者
~天下分け目の天王山を歩く~

 スポーツなどでの大一番を「天王山」と言いますが、その語源となった戦いをご存知でしょうか? それは、後に天下人となる羽柴(豊臣)秀吉と主君・織田信長を討った明智光秀が激突した「山崎の戦い」です。その戦いの舞台となったのが、京都駅から電車でおよそ15分ほどの「大山崎町」・・・ここに「天王山」がそびえます。
 山崎の戦いは、秀吉軍に軍配が上がりますが、実は勝利の行方を大きく左右したキーパーソンがいました。彼がいかにしてこの天下分け目の決戦に勝利をもたらしたのでしょうか?かつて大河ドラマでその人物を演じたことのある中村雅俊さんが、お城の専門家 千田嘉博先生と共に天王山に登りながらその秘密をひも解きます。

 まず二人がやって来たのは「恵解山(いげのやま)古墳」。ここは明智光秀が山崎の戦いで本陣にしたといわれる場所。そこには戦いを有利に進めるための「ある戦略」が秘められていました。古墳ならではの地形に加え、「山崎の地の利」を生かした驚くべき狙いとは?
 優れた戦略で戦いを有利に運ぼうとした光秀ですが、それをひっくり返したのが今回のキーパーソン。一体どんな働きをしたのか?戦いの時に陣取った「天王山」に登ることで浮かび上がるといいます。実際に天王山へ登った中村さん、そこで知ったキーパーソンの働きは、秀吉の優れた家臣たちの中でも彼にしか出来ない任務だったのです。一体どういうことなのでしょうか?
 さらに、秀吉軍が本陣をおいた寺「天王山宝積寺」へ。奈良時代から1000年以上の歴史を刻むこの寺院、今に残る貴重な境内図から、秀吉がこの境内を本陣とした理由が判明。さらに、秀吉が一夜にして建てたという伝説が残る三重塔から、秀吉が優れた一面も明らかに。
 そしてここ山崎の歴史とも深く関わる名物料理にも舌鼓を打ちます。
 「天下分け目の天王山」を歩き、秀吉が光秀との決戦を制すことが出来た意外な理由をひも解く1時間、ぜひお楽しみに。


【専門家出演者】
●城郭考古学者 奈良大学文学部教授
千田嘉博 さん