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#74.2

都に眠る 天皇と武将の宝 後編

中村芝翫さんが、悠久の歴史を刻む京都に眠る『武将たちの宝』を巡る旅へ。
室町幕府8代将軍・足利義政ゆかりの「銀閣寺」。国宝の東求堂では、義政が文化をたしなむために使用していた道具を見せていただきます。そして、義政が毎日手を合わせていた阿弥陀如来立像を拝見。義政はこの場所に極楽浄土の世界を表現しようとしたと言います。
醍醐の花見でその権力を知らしめた豊臣秀吉。「妙心寺」には、秀吉が愛した息子・棄丸(すてまる)の坐像や棄丸が遊んでいたと伝わる玩具船が残されています。大徳寺の塔頭「総見院」では、秀吉が信長の死後に奉納した信長公坐像が。この像に込められた秀吉の思いとは? 秀吉の正室、北政所が晩年を過ごした「圓徳院」。ここには秀吉が若かりし頃に拝んでいたという三面大黒天が置かれています。この像には、合理性を求める秀吉らしい信仰心が見て取れるといいます。
秀吉の死後、天下を統一した徳川家康。美しい庭があることで知られる「龍源院」には、家康と秀吉が対局したときに使われた碁盤が残されていました。碁を打つ2人の胸中は?
 

戦国時代に活躍した軍師・黒田官兵衛の息子、黒田長政。数々の戦で武功をあげた長政は、関ヶ原の合戦の後には大名にまで出世。「報恩寺」に置かれている位牌は、官兵衛のものより2倍も大きいと言います。そんな長政が、戦のときに必ず持っていたというのが「両足院」に残されている毘沙門天像。長政は、関ヶ原の合戦の際には、この毘沙門天像を内兜に納めて戦ったと言います。
戦国時代に同じく名をはせた武将、真田幸村。真田家の家紋である六文銭の形をした絵馬が奉納されている「高松神明神社」で、幸村の念持仏・地蔵菩薩を拝見します。
後世に名を残し歴史を彩った武将たち。古都に残る彼らの宝を訪ね、そこに秘められた物語をひも解きます。