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#45

都に輝く偉人たちの物語(前編)
都に輝く偉人たちの物語(後編)

幾世紀を越え物語を紡ぐ、いにしえの都。この街には、歴史にその名を刻んできた偉人たちの面影が随所に残されています。この春で番組開始3年目を迎えるにあたり、芝翫さんが厳選した京の街にゆかりの深い偉人たちと、その足跡をたどります。
南禅寺の境内にある「金地院(こんちいん)」には徳川家康を神様としてまつる「東照宮」や、家康のブレーンで寺を再興した以心崇伝をまつる「開山堂」があります。そして、京都でも指折りの美しさを誇る「鶴亀の庭」と、徳川家との深いかかわりとは?
織田信長と幼少期を共に過ごした清玉上人(せいぎょくじょうにん)が開いた「阿弥陀寺(あみだじ)」。ここには、信長が本能寺の変で使った槍(やり)や信長の遺骨が納められていると伝わります。京都の人から見た信長とは一体どのような人物だったのか?
平安時代末期、武士として初めて政権を握ったのが平清盛。彼が建てた「三十三間堂」には、千体にも及ぶ千手観音が置かれています。この千手観音は、平清盛がある人物のために作らせたものだと言います。その人物とは?
京都のシンボル東寺を大きく発展させた弘法大師空海。1200年経った今もその名が各地で語り継がれているのはなぜか。その秘密を探りに、若き空海が唐から戻り修行をしたという「神護寺(じんごじ)」へ。ここには、真言密教を広めるために描かれた「高雄曼荼羅(たかおまんだら)」や、空海にまつわる有名なことわざの起源となった「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」が残されていました。
空海と同じく日本の仏教に欠かせない人物、伝教大師最澄が修行をした場所といえば「比叡山延暦寺」。境内の中で、もっとも大切な場所といわれる「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」には、寺の本尊とともに最澄の時代より一度も消えることなく灯されている「不滅の法灯(ほうとう)」が大事にまつられています。
「酬恩庵一休寺(しゅうおんあんいっきゅうじ)」は、その名の通り、一休禅師が住職を務めた寺。彼の晩年の姿を表した木像やその人柄がわかる画を見せていただきます。そこに伝わるのは、とんち話で有名な一休禅師とはまったく違う姿でした。
京都の錦市場で生まれ、近年の日本画ブームでも絶大な人気を誇る伊藤若冲。そんな彼の代表作といえば、動植物を描いた「動植綵絵(どうしょくさいえ)」ですが、実はこの画が、京都を代表する禅寺「相国寺(しょうこくじ)」を救ったといいます。
歴史を彩った様々な偉人たちと、古都の名所に残る意外なつながりをひも解きます。