番組表
閉じる
メニュー
エンタメ・音楽
株式会社
#100
ウェルビーイング、みつけた
2025年4月14日(月)よる8:54~9:00
今度ナニ観る!?~BS朝日イベント検索TV~
2025年4月14日(月)よる11:24~11:54
旅・くらし
春の夜空
#2
暦に願う
2025年4月13日(日)よる8:54~9:00
ワカコさんとマサルくんのお宅は買わないの?? スペシャル
#12
2025年4月13日(日)午後3:00~3:54
伝統的な石積みの継承 金子玲大(かねこ・れお)36歳
未来につなぐエール
2025年4月13日(日)午後6:54~よる7:00
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
GAME A
BS朝日がゲーム事業に参入!第一弾はインディーゲームイベントに参加!
地方創生DX「発信と体験」
BS朝日が取り組む地方創生DX:「発信」と「体験」“知る人ぞ知る地方の魅力”にフォーカス
現在もブームが続いている『応仁の乱』。その歴史書は45万部を突破する大ヒットを記録。室町時代後期に始まり、戦国時代へのきっかけとなったこの戦いは11年も長引き、京都の中心部を焼き尽くしました。しかし、その知名度とは裏腹に、内容が分かりづらいことでも有名です。そこで今回は、歌舞伎俳優・片岡孝太郎さんが、戦の原因を作った一人とされている室町幕府八代将軍・足利義政を中心に、『応仁の乱』の謎を紐解く旅に出ます。 『応仁の乱』はなぜ起こったのでしょう?そこに潜むのは、将軍後継問題。足利家ゆかりの寺・等持院や、義政の正室・富子が通ったという高山寺を訪ねることで見えてくる夫婦のすれ違いとは…?また、織物業の町『西陣』と『応仁の乱』の奥深い関係。東西両軍の本陣跡地を実際に歩き、現代に残された戦の様々な痕跡と出会います。そして『応仁の乱』勃発の地、上御霊神社へ。 なぜ京都は焼き尽くされたのでしょう?最大の戦の地・相国寺では、その戦の激しさを物語る貴重な資料と対面。相国寺のみならず、清水寺や南禅寺など、名だたる寺院を焼失させた『応仁の乱』。当時なぜ、寺が戦場となったのか?その謎も解き明かします。 戦の最中も酒宴を楽しんでいたとされる将軍・義政。その豪勢な宴会メニューに飽き飽きしていた義政が特に好んだという料理を、大本山妙心寺御用達の老舗精進料理店「阿じろ」が特別に再現。そこには、今も親しまれている和食の原点が?さらに、『応仁の乱』の後に義政が建てたのが世界遺産・銀閣寺。政治に能力を発揮できなかった将軍の、悲哀に満ちた人生ドラマとは? なぜあれほど長期化したのか?結局、誰が勝ったのか?現代に残した教訓は?今も京都の人々に語り継がれている『応仁の乱』。分かりづらいこの大乱も、ゆかりの地を歩いてみれば、すっきりと見えて来ます。
前へ
現在もブームが続いている『応仁の乱』。その歴史書は45万部を突破する大ヒットを記録。室町時代後期に始まり、戦国時代へのきっかけとなったこの戦いは11年も長引き、京都の中心部を焼き尽くしました。しかし、その知名度とは裏腹に、内容が分かりづらいことでも有名です。そこで今回は、歌舞伎俳優・片岡孝太郎さんが、戦の原因を作った一人とされている室町幕府八代将軍・足利義政を中心に、『応仁の乱』の謎を紐解く旅に出ます。
『応仁の乱』はなぜ起こったのでしょう?そこに潜むのは、将軍後継問題。足利家ゆかりの寺・等持院や、義政の正室・富子が通ったという高山寺を訪ねることで見えてくる夫婦のすれ違いとは…?また、織物業の町『西陣』と『応仁の乱』の奥深い関係。東西両軍の本陣跡地を実際に歩き、現代に残された戦の様々な痕跡と出会います。そして『応仁の乱』勃発の地、上御霊神社へ。
なぜ京都は焼き尽くされたのでしょう?最大の戦の地・相国寺では、その戦の激しさを物語る貴重な資料と対面。相国寺のみならず、清水寺や南禅寺など、名だたる寺院を焼失させた『応仁の乱』。当時なぜ、寺が戦場となったのか?その謎も解き明かします。
戦の最中も酒宴を楽しんでいたとされる将軍・義政。その豪勢な宴会メニューに飽き飽きしていた義政が特に好んだという料理を、大本山妙心寺御用達の老舗精進料理店「阿じろ」が特別に再現。そこには、今も親しまれている和食の原点が?さらに、『応仁の乱』の後に義政が建てたのが世界遺産・銀閣寺。政治に能力を発揮できなかった将軍の、悲哀に満ちた人生ドラマとは?
なぜあれほど長期化したのか?結局、誰が勝ったのか?現代に残した教訓は?今も京都の人々に語り継がれている『応仁の乱』。分かりづらいこの大乱も、ゆかりの地を歩いてみれば、すっきりと見えて来ます。