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#35

二条城と坂本龍馬~大政奉還の真実~

今年2017年は、日本の歴史を大きく変えた出来事「大政奉還」からちょうど150周年の節目。そこで大いに盛り上がっているのが、十五代将軍慶喜が大政奉還の宣言を行った二条城。そして大政奉還実現へ向け、京の街を奔走したのが、坂本龍馬。今回は二条城と坂本龍馬ゆかりの地をぶらりと訪ねます。
まずは、京の街の中心地にある二条城へ。そのメインとなる建物、二の丸御殿の中に今回特別にカメラが入ります。そこで出会ったのは、テレビでは滅多に見られない徳川家の権威を示す、絢爛豪華な装飾や襖絵の数々。天才と謳われた幕府の御用絵師、狩野探幽らが手がけた美しさと迫力を兼ね備えた襖絵は一見の価値アリ。こうした装飾の多くは三代将軍家光の頃に行われた「行幸(ぎょうこう)」のために作られたもの。庭園には、時の天皇を二条城に招いた行幸のためだけに「行幸御殿」が建てられたと言います。謎に包まれたこの御殿の全貌とは? さらに老舗料亭「萬亀楼」では、行幸で出された驚きの献立について伺います。そして、二条城といえば、大広間で行われたという十五代将軍慶喜による大政奉還の宣言。しかし実は、大政奉還を宣言したのは大広間ではなかったと言います。では一体どこだったのか? 絵図が伝える意外な真相とは?
さらに大政奉還を実現すべく奔走したのが坂本龍馬。龍馬は全国を飛び回りましたが、京都は特に縁の深い場所。たとえば木屋町通にある創業300年の老舗材木店「酢屋」は、なんと龍馬率いる海援隊が京都本部とした場所だったと伝わります。当時から変わらない場所で商いを続ける酢屋…この店に伝わる龍馬と海援隊にまつわるエピソードとは?
そして風光明媚な地として知られる嵐山へ。世界遺産天龍寺と、龍馬には、意外な繋がりがありました。さらに、清水寺へと向かう風情あふれる通り、三年坂にある「明保野亭(あけぼのてい)」は、龍馬の定宿の一つ。そこには、龍馬が泊まっていた頃から伝わる貴重な物がありました。
また幕末に関する史料を保存・展示している「霊山(りょうざん)歴史館」では、龍馬暗殺にまつわる品を拝見。今に伝わる暗殺に使われた「ある物」とは?
260年以上に渡って徳川家の栄枯盛衰を見守ってきた二条城と、江戸幕府の歴史に終止符を打った坂本龍馬ゆかりの地を巡り、当時に思いを馳せます。