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#28

平安貴族が愛した嵯峨野

人気の観光地として、今や多くの人が訪れる嵯峨野。今回はこの地に息づく平安文化の面影を巡ります。
嵯峨野が発展したのは平安時代。当時、貴族たちがこぞってこの地に別荘を建てて、過ごしたことがきっかけだといいます。その中には時の天皇もいました。それは、嵯峨天皇です。実は、嵯峨野という名前は、この地を愛していた嵯峨天皇に由来するといいます。
そんな嵯峨天皇の別荘だったのが、現在の「大覚寺(だいかくじ)」です。その境内にある広大な大沢池は、深く平安文化とかかわっていました。そのひとつが、生花の流派「嵯峨御流(さがごりゅう)」。嵯峨天皇が大沢池に咲く菊を手に取り、いけたことから始まったとされるこの流派は、時を越え今も多くの人たちに愛されています。そして、貴族たちもまたこの池で雅な遊びを楽しんでいました。当時、貴族たちはこの池に舟を浮かべ、水面に映る月を眺めていたといいます。なぜ、空ではなく池の水面を見ていたのか。その秘密を探ります。
それらの貴族の様子を事細かに描いたのが、平安時代を代表する文学「源氏物語」です。続いて訪れた「清涼寺」は、その源氏物語ゆかりの場所。ここにまつられている国宝の阿弥陀三尊像は、主人公光源氏のモデルとなった源融に似せてつくられたといいます。
さらに源氏物語をひも解くために、竹林の中に静かにたたずむ、「野宮神社(ののみやじんじゃ)」へ。ここは光源氏と、その恋に苦しむ六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の別れの場面に登場する舞台です。そこで知る平安貴族の恋愛感や結婚事情とは?
源氏物語でも詠まれていたように、平安時代、貴族たちはこぞって歌を詠み楽しみました。現在、観光客でにぎわう渡月橋のかかる大堰川(おおいがわ)の上流でも、貴族たちは舟を浮かべ歌を詠んでいたそうです。実際に舟に乗り、当時の優雅な雰囲気を味わいました。
川の流れに揺られ、見えてきたのは小倉あんの名前の由来となったとも伝わる小倉山。そして小倉山と深いかかわりがあるものといえば、平安時代より今に伝わる「小倉百人一首」です。山の中腹にある「常寂光寺」(じょうじゃっこうじ)では、普段非公開で見られない、百人一首の句を選定した藤原定家の秘像を特別に見せていただきました。 1200年以上前にこの地で育まれてきた貴族文化。その面影をたどりながら、平安時代に生きた人々の思いに触れます。