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#27

祇園物語 女が支える花街の彩

京都で最も華やかな街、祇園。京都観光の中でも屈指の人気を誇る地域です。
祇園は昔から「女が支えてきた街」と言われてきました。今回はこの地で力強く生きてきた女性達の姿を通し、祇園の知られざる歴史と独自の文化を紐解きます。
祇園はなぜこれほどまでに発展したのでしょうか?その謎を紐解くため、現在の祇園で外せないと言われる弥栄会館ギオンコーナーへ。京舞をはじめとした伝統芸能に気軽に触れることのできる人気スポット。艶やかな舞妓の姿に込められた意味とは?
日本最大級の花街・祇園は、いかにして誕生したのでしょうか?そのヒントが隠されているという場所が八坂神社。そもそも祇園は「八坂神社の門前町として栄えたのが起源」とされていますが、もう一つ、興味深い説が…。この街の形成、芸舞妓文化発祥の鍵を握る、と伝えられる、ある歴史上の女性とは?
「祇園の華」と呼ばれる芸舞妓の踊り。その伝統を守る至宝の人物がいました。京舞井上流、五世家元の井上八千代さん(人間国宝)。井上流は祇園甲部で代々女性だけに継がれてきた日舞の一流儀で、上方舞の中でも京都固有の特色があります。偉大なる伝統を受け継ぎ、次世代に伝えることの難しさ、そして大切さを、井上さんが語ります。 踊りの源流をたどると、そこにも一人の女性が関わっていました。江戸初期、鴨川の河原で歌舞伎の祖、阿国が「かぶき踊り」を始めたのは慶長8年(1603)。その後、歌舞伎が発展し、江戸時代には祇園にいくつもあった芝居小屋。現在南座だけが残った理由とは?
全国の花街が消えゆく中、なぜ祇園だけが今も輝いているのでしょう?そこには、芸舞妓が通う、女性の美しさを支える名店があります。さらに、老舗料亭に嫁ぎ、生涯、祇園で生きる決意をした元舞妓がこの地の魅力を語ります。 女が街を育て、また街が女を育ててきた祇園。遙かなるその歴史浪漫に迫ります。