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二条城と京の城

徳川家康が築いた「二条城」をはじめ、歴史上の人物にゆかりの深い「京の城」を訪ね、そこに秘められた物語をひも解いていきます。
江戸時代初めの築城以来、徳川幕府における京都の拠点となった二条城。城が大きく造り替えられるきっかけとなったのが、三代将軍・家光の時代に行われた、「行幸(ぎょうこう)」でした。家光は時の後水尾天皇(ごみずのおてんのう)を二条城に迎えるため、建物を増やし、庭を広げたのです。
将軍が各地の大名と対面し、京都滞在時の住まいでもあった「二の丸御殿」、見る場所によって違う景色が楽しめる「二の丸庭園」など、いたるところで、かつての名残に出会うことができます。さらに天守閣跡にも登り、いにしえの面影を今に伝える城と、京の街のはるかな歴史に思いをはせます。
そんな二条城の中に残されていたのが、織田信長が手掛けた「旧二条城」の石垣。実は「二条城」という名の城は、ひとつではなかったのです。町の中に残る「旧二条城」跡地に足を運び、わずか70日で築き上げたとされる信長の物語をひもときます。
そんな信長亡き後、天下人となった豊臣秀吉の城といえば「伏見城(ふしみじょう)」。かつて本丸がその周辺にあったとされる「伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)」を訪ねます。
安土桃山時代、明智光秀が織田信長の命を受けて築いたのが、京の街の北西、丹波地方にある「福知山城」。天守閣は復元されたものですが、石垣は創建当時のものだといいます。さらに、同じく光秀が信長の命で築城した「亀山城」は、福知山城が造られる前に、丹波の拠点として築かれたもの。光秀はこの亀山城から本能寺へ出陣したと伝えられているのです。
さまざまな歴史の舞台となった京の城や城跡をめぐり、時代の名残を感じていきます。