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#3.4

2時間スペシャル 上賀茂神社・下鴨神社・醍醐寺 いにしえの物語

今回は、2時間スペシャル。いにしえより古都をはぐくんできた、「上賀茂神社」と「下鴨神社」。そして、創建から1100年以上にわたり、多くの信仰を集めてきた「醍醐寺」。歴史ある二つの社(やしろ)と寺で、長きにわたり紡がれてきた物語をひも解きます。
まず訪れるのは、醍醐寺。仁王像が立つ門の先に立つのが「五重塔」。京都の五重塔の中で最も古いこの建物にまつられているのは、寺と深いゆかりを持つ醍醐天皇。そして向かったのは、本堂である「金堂」。あらゆる病を癒すとされる、本尊の薬師如来が迎えます。
険しい山道を登り、たどり着いたのが、醍醐寺の起源にまつわる伝説が残る、「上醍醐(かみだいご)」と呼ばれる場所。前にせりだした「懸(かけ)造り」が特徴的な、「清瀧宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)」には、弘法大師・空海が中国からもたらしたと伝わる「清瀧権現(せりりゅうごんげん)」がまつられています。上醍醐の中で、もっとも古い建物である「薬師堂」。ここには、金堂と同じく、薬師如来がまつられていました。そして山道の奥に建つ「開山堂(かいさんどう)」は、平安時代に醍醐寺を開いた「聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)」がまつられる場所。弘法大師・空海の孫弟子だという聖宝理源大師の像の横には、空海の像も置かれていました。「醍醐寺」の名の由来となったとされるのは、こんこんと湧き出る水。そこに秘められた、はじまりの物語とは…? そして、醍醐寺のほど近くの「法界寺(ほうかいじ)」へ。境内の「阿弥陀堂(あみだどう)」に残された、平安時代の阿弥陀如来や、柱に描かれた仏を拝見します。
再び醍醐寺に戻り、訪れたのは代々の座主が住まう「三宝院(さんぼういん)」。その建物から望む庭園は、豊臣秀吉が整備したといいます。秀吉と言えばよく知られるのが「醍醐の花見」。山の上から桜を楽しんだという建物を移築した「純浄観(じゅんじょうかん)」で、秀吉の思いに触れます。

 

さらに、京都の人々から「下鴨さん」と呼ばれ、親しまれてきた下鴨神社へ。木々が生い茂る「糺の森(ただすのもり)」を進みます。この神社の正式な名前は「賀茂御祖(かもみおや)神社」。上賀茂神社の御祭神の、親にあたる神がまつられていることを示しているとか。その本殿は、東西二つに分かれた珍しい造り。それぞれにまつられた神には、はるかな伝説が残されていました。下鴨神社には、様々なご利益で知られる小さな社があります。「言社(ことしゃ)」は十二支を守る干支の神。御手洗(みたらし)池の上に建つ「井上社」では毎年、夏の風物詩の「みたらし祭り」が行われます。縁結びの神をまつる「相生社(あいおいしゃ)」には、不思議な言い伝えが残されていました。さらに、鎌倉時代に活躍した随筆家、鴨長明ゆかりの社もありました。
そして…賀茂川のほとりを歩き、上賀茂神社へ。正式には「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」と呼ばれます。実は、その入り口にある「一の鳥居」に対して、「二の鳥居」は少し斜めに建っているといいます。そこに秘められた理由とは…。境内に入ると、白砂が美しく盛られた「立砂(たてすな)」が目を引きます。その不思議な形には深い意味がありました。本殿のすぐ近くに建つ「権殿(ごんでん)」は、本殿と形や大きさが全く同じだといいます。その大切な役割とは…?
そんな、上賀茂神社の近くには、かつて、この神社の神職を務めてきた人々が暮らす「社家町(しゃけまち)」があります。歴史ある建物を守り続けるお宅を訪れ、独特の造りを見せて頂きます。

 

京の人々とともに、長い歴史を刻んできた、上賀茂神社と下鴨神社、そして醍醐寺。そこに数多く残される、いにしえの面影をめぐっていきます。