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#48

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「箱根八里」を作曲したのは、若くして、世を去った滝廉太郎です。
廉太郎は、明治12年1879年8月東京に生まれました。15歳で東京音楽学校、現在の東京藝術大学に入学。明治31年に本科を卒業し、研究科に進みます。
箱根八里とは旧東海道の小田原から箱根の関所までの4里とそこから三島までの4里を合わせた8里、32キロのことをいいます。
道は石畳の急な坂が多く、思いのほか地形が険しいことに加え、関所の検問が厳しかったため、「東海道五十三次一の難所」と恐れられていました。この曲は箱根越えが、いかに困難だったかを歌っています。
明治34年、東京音楽学校の教授だった鳥居忱(まこと)は自作のこの詩に曲をつける生徒を募りました。格調高く、難解な漢文調の歌詞に一同が尻込みする中、廉太郎ひとりが手をあげたそうです。
廉太郎は当時二十一歳。難しい歌詞に軽快で堂々たる曲を付け教授の鳥居をはじめ、全員が声も出ないほど驚いたといいます。
しかし、滝廉太郎は、明治36年1903年結核のため24歳という若さでこの世を去ります。