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#52

「興福寺」(長崎県) 「崇福寺」(長崎県) 「観世音寺」(福岡県)

「興福寺」(長崎県)

興福寺(長崎県)は、鎖国の時代に唐人(中国人)を檀家として造られた唐寺の草分け。居住を厳しく管理された唐人たちの交流の場でもありました。後に四代将軍家綱の帰依を受け、京都に萬福寺を開く高僧・隠元禅師も、再三の要請に応えて来日し、この寺の住持を務めています。禅師は沈滞する日本禅宗界に新風を吹き込み、中国・明の様々な文化をもたらしました。隠元像を祀る大雄宝殿の柱は原爆の風圧で傾き、戦争の傷跡をも生々しく伝えます。

 

「崇福寺」(長崎県)

崇福寺(長崎県)は、中国風堂宇が軒を並べる唐寺。鎖国政策の下、海外への唯一の玄関口であった長崎に寄港する船のため、航海守護の女神・媽祖神を祀りました。竜宮城の入口とも思える鮮やかな朱色の三門をくぐった先には、吉祥文様に彩られた国宝の第一峰門。丹塗りの大雄宝殿もまた国宝です。寺の裏山には、帰国が叶わずこの地で生涯を終えた唐人(中国人)たちの墓碑が、西の彼方にある故郷・福建省福州を望み、彼らの望郷の念を物語っています。

 

「観世音寺」(福岡県)

観世音寺(福岡県)は7世紀後半、「遠の朝廷」と呼ばれた大宰府政庁の東隣に位置していました。天智天皇がその母・斉明天皇追善のために発願し、国家の庇護のもとに大宰府が造営。公認の僧侶資格を与える戒壇が設けられ、最盛期には七堂伽藍が甍を並べる大寺院でした。降りしきる雪の中、五木さんは日本最古の梵鐘を撞き、1300年の歳月が生み出す音色に魅了されます。また宝蔵では巨大な観音像を見上げて、人間存在の卑小さを改めて思い知るのです。