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#42

「金閣寺」(京都) 「銀閣寺」(京都)

「金閣寺」(京都府)

金閣寺(京都府)の正式名称は、北山鹿苑寺。室町幕府三代将軍・足利義満は出家後、左大文字山の裾野に広大な山荘を築きます。その建造物の一つが金閣。この地に絢爛な北山文化が花開きました。しかし、権勢の絶頂で義満が没すると、跡を継いだ息子は建物の多くを解体。戦火を経て残ったのは金閣のみでした。五百年後、一人の学僧の放火で金閣は全焼。人々の熱い思いにより再建された金閣は、権力の象徴から美の象徴となって、今も輝いています。

 

「銀閣寺」(京都府)

東山慈照寺の通称、銀閣寺(京都府)。室町幕府八代将軍・足利義政は将軍職を辞すと、東山の麓に己の美学を注ぎ込んだ山荘を造営します。民衆と共に土を運び、草木を植え、金閣に対抗する銀閣を建造しました。文化の担い手ではあったものの、政治を捨て、美的生活に逃げ込んだ義政にとって、東山の地は「絶望の王国」であったかもしれません。国宝・東求堂の一室「同仁斎」は日本初の四畳半として、「詫び寂び」の美意識を湛えています。