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#481

渡辺えり(劇作家・演出家・女優)

ゲスト×インタビュアー
渡辺えり(劇作家・演出家・女優)× 石原正康(編集者)

1955年山形県生まれ。家族は中学教師の父と農協で働く母、弟。幼い頃の楽しみは、両親や祖母からの読み聞かせ。物語のその後を想像し、家族に話すのが好きだったという。小学校に入ると背が高く体格も良かった渡辺は、心無い言葉でいじめにあい、2年間ほぼ不登校に。立ち直るきっかけとなったのが、小2の学芸会の舞台。犬のお母さん役を熱演し、拍手を浴び、自信を掴む。初めて作った話は、小5で友人と作った「黄金の入れ歯」。江戸川乱歩のミステリーを参考に制作し大喝采を浴びたという。
歌も好きだった渡辺は中学校では合唱部、高校では演劇部に所属する。高1で運命を決める舞台と出会った。それが「ガラスの動物園」。大学進学を望む両親と、演劇に没頭したい気持ちで葛藤していた渡辺に、大きな影響を与えたという。

高校卒業後に上京し、舞台芸術学院へ進学。23歳で専門学校時代の同級生4人と劇団を旗揚げ。28歳の時「ゲゲゲのげ」で劇作家の登竜門と言われる「岸田國士戯曲賞」を受賞。人気ドラマ「おしん」に出演したのもその頃で、渡辺の名は全国区に。勢いは止まらず、自分の劇団以外の戯曲や演出、エッセイの依頼、映画出演など、仕事が一気に増えた。渡辺が戯曲を書く上で大切にしている考え方がある。
それは「全員主役」。自分を平等主義と呼ぶ渡辺。その背景にあるものとは?

渡辺にはもう1つ、シャンソン歌手という顔がある。全国ツアーも行い、アルバムも発表している。幼い頃から父の影響でクラシックを聴き、歌が大好きだった渡辺。小6で運命的な出会いが。それがジュリーこと沢田研二との出会い。以来、50年以上、追いかけ続けている。今も寝る前にはジュリーの曲を聴いて眠るそう。渡辺は昨年離婚し、追い打ちをかけるように起きたコロナウィルスの影響。人生をかける演劇がいつ再開できるのか…。先が見えない時、助けてくれたのがジュリーの曲だったという。

今回、訪れたのは本番前日の高円寺の劇場。20年待った待望の舞台。「女々しき力プロジェクト」は、渡辺を筆頭に女性劇作家が集結し、それぞれの個性を生かし、色彩豊かな作品を連続上映するというもの。未だに男性上位の演劇界で、女性の地位向上を目指し、この舞台を計画。また、日本劇作家協会会長に就任したのもそのためだ。女性劇作家の先頭に立つ、その決意と思いを聞く。
インタビュアーは、編集者 石原正康