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スポーツ
第55回記念明治神宮野球大会 高校の部 決勝
第55回明治神宮野球大会
2024年11月25日(月)午前10:00~午後1:00
静岡カントリー浜岡コース&ホテル(前編)
#146
極上!ゴルフ場探訪
2024年11月25日(月)よる10:00~10:30
エンタメ・音楽
原田左官工業所 前篇
#82
ウェルビーイング、みつけた
2024年11月25日(月)よる8:54~9:00
岐阜サウナめし
#202
サウナを愛でたい
2024年11月25日(月)よる10:30~10:54
シーズン16 1回戦 マッチ7
女子ゴルフペアマッチ選手権
2024年11月25日(月)よる9:00~10:00
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
地方創生DX「発信と体験」
~芸とおもてなしの文化~ あなたの知らない花街の魅力をご紹介します。
ゲスト×インタビュアー 秋元順子(歌手)× 石原正康(編集者) 1947年6月21日、東京・深川生まれ。産声が低音だったため、男の子が生まれたと勘違いされる程だった。生まれ持ったハスキーボイスは、小学校で同級生たちに「ガラガラ声」とからかわれてコンプレックスに…。しかし、音楽の授業で「月の沙漠」を歌うと、先生に「いい声ねぇ」と褒められ、からかっていた同級生たちからも一斉に拍手が! この経験で、音楽の素晴らしさを知ったという。 中学時代には英語の歌手コンクールで優勝、高校時代も音楽部に所属。夢は、学校の音楽の先生になることだった。しかし、「家計を助けてほしい」という親の願いで、高校卒業後は石油会社に就職する。少しでも音楽に関わっていたかった秋元は、ハワイアンバンドのサークルに所属。バンドでは、ハワイアンに限らず、あらゆるジャンルの音楽を経験した。 24歳で、バンドを聞きに来てくれていた3歳年上の男性と結婚。夫の営む生花店の手伝いに家事も加わり、続けていたバンド活動も子供ができたのと同時にピタリとやめる事に。やがて2人の子どもの育児に追われていたころ、秋元の顔に「カールおじさん」のようにヒゲが!! 一体何が起きたのか!? 再び歌う機会が訪れたのは、子どもにも手がかからなくなった頃。昔のバンド仲間から「久々に歌わないか?」と誘われ、再び歌うことへの欲望が湧き上がる。歌声は健在だった。家族の後押しもあり、家事、生花店の仕事と並行する形で、バンド活動を再開する。この頃、プライベートでジャズの本場ニューヨークやニューオリンズを訪問。大きな刺激を受け、帰国後はジャズのスタンドナンバーを中心にライブハウスなどで歌い続けた。 2004年、ある作曲家から「マディソン郡の恋」を歌ってくれないかと頼まれ、レコーディングすると、自主制作のCD2000枚があっという間に完売し、追加生産に。有線「問い合わせランキング」でも1位を獲得し、6000枚を売り切ったところでレコード会社と契約し、遂にプロデビューを果たす。それが58歳の時だった。 2008年、シングル「愛のままで…」をリリース。この年の紅白歌合戦に、女性歌手としては歴代最高齢の61歳で初出場を果たす。 インタビューの舞台は、秋元が20年以上の付き合いがあるというライブハウス「池之端ライブスペースQui」。常に明るく、自然と周りを楽しませてくれる秋元が、馴染みの場所で、長い苦労時代から現在までの半生を語る! また、自身最大のヒット曲「愛のままで…」とジャズナンバー「オールオブミー」も熱唱! 秋元の人生を深く感じる重みのある歌声に、誰もが感動するだろう…。
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ゲスト×インタビュアー
秋元順子(歌手)× 石原正康(編集者)
1947年6月21日、東京・深川生まれ。産声が低音だったため、男の子が生まれたと勘違いされる程だった。生まれ持ったハスキーボイスは、小学校で同級生たちに「ガラガラ声」とからかわれてコンプレックスに…。しかし、音楽の授業で「月の沙漠」を歌うと、先生に「いい声ねぇ」と褒められ、からかっていた同級生たちからも一斉に拍手が! この経験で、音楽の素晴らしさを知ったという。
中学時代には英語の歌手コンクールで優勝、高校時代も音楽部に所属。夢は、学校の音楽の先生になることだった。しかし、「家計を助けてほしい」という親の願いで、高校卒業後は石油会社に就職する。少しでも音楽に関わっていたかった秋元は、ハワイアンバンドのサークルに所属。バンドでは、ハワイアンに限らず、あらゆるジャンルの音楽を経験した。
24歳で、バンドを聞きに来てくれていた3歳年上の男性と結婚。夫の営む生花店の手伝いに家事も加わり、続けていたバンド活動も子供ができたのと同時にピタリとやめる事に。やがて2人の子どもの育児に追われていたころ、秋元の顔に「カールおじさん」のようにヒゲが!! 一体何が起きたのか!?
再び歌う機会が訪れたのは、子どもにも手がかからなくなった頃。昔のバンド仲間から「久々に歌わないか?」と誘われ、再び歌うことへの欲望が湧き上がる。歌声は健在だった。家族の後押しもあり、家事、生花店の仕事と並行する形で、バンド活動を再開する。この頃、プライベートでジャズの本場ニューヨークやニューオリンズを訪問。大きな刺激を受け、帰国後はジャズのスタンドナンバーを中心にライブハウスなどで歌い続けた。
2004年、ある作曲家から「マディソン郡の恋」を歌ってくれないかと頼まれ、レコーディングすると、自主制作のCD2000枚があっという間に完売し、追加生産に。有線「問い合わせランキング」でも1位を獲得し、6000枚を売り切ったところでレコード会社と契約し、遂にプロデビューを果たす。それが58歳の時だった。
2008年、シングル「愛のままで…」をリリース。この年の紅白歌合戦に、女性歌手としては歴代最高齢の61歳で初出場を果たす。
インタビューの舞台は、秋元が20年以上の付き合いがあるというライブハウス「池之端ライブスペースQui」。常に明るく、自然と周りを楽しませてくれる秋元が、馴染みの場所で、長い苦労時代から現在までの半生を語る! また、自身最大のヒット曲「愛のままで…」とジャズナンバー「オールオブミー」も熱唱! 秋元の人生を深く感じる重みのある歌声に、誰もが感動するだろう…。