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#452

周防正行(映画監督)

ゲスト×インタビュアー
周防正行(映画監督)×舘野晴彦(編集者)

1956年生まれ、神奈川県出身。人一倍正義感が強かったという少年時代の夢は、野球選手になることだった。だが、大学時代に出会った映画評論家・蓮實重彦と彼の講義は、大学生の周防の心を動かした。のちに、彼の夢は“映画監督”になっていた。
映画監督としてのスタートは1984年のピンク映画。大杉漣主演の「変態家族 兄貴の嫁さん」で監督デビュー。「自分が1番好きなモノを撮りたい」。そう思った周防は、大胆にも、ピンク映画に小津安二郎の演出を取り入れた。その傑作パロディーとは?
初めて一般映画を撮ったのは1989年。32歳の時だった。アイドルから俳優に転身したばかりの本木雅弘を主演に起用した「ファンシイダンス」だ。その3年後に再び本木とタッグを組んだ「シコふんじゃった。」で、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞する。本木を連続で主役に選んだのには、ある理由があるそうだ。そして、人生を変える作品となった「Shall we ダンス?」の誕生秘話。さらに、日本映画の草創期を支えた活動弁士を描いた最新作「カツベン!」への想いや製作秘話をたっぷりと語る。
私生活では、妻・草刈民代と結婚して23年。結婚当初は、世界的バレリーナだった草刈の体調管理を徹底した生活に戸惑うことも多かったが、今はある境地に至っているという。
インタビューの舞台は、周防の母校・立教大学。映画監督になろうと決めた原点がある場所で、近頃の日本映画界に思うところや、63歳になって考える…さまざまな胸の内も明かしてくれる。