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#448

君原健二(メキシコ五輪マラソン銀メダリスト)

ゲスト×インタビュアー
君原健二(メキシコ五輪マラソン銀メダリスト)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

1941年3月20日、福岡県に生まれる。小学生時代は勉強もスポーツも苦手で、劣等生だったという。人生の転機は中学2年生の時。クラスメートに駅伝部に誘われ、「断るのが怖かった」ため、言われるがままに入部した。ここからオリンピックメダリストへの人生が始まったのだ。
その後、幸運に恵まれて強豪の八幡製鉄陸上部に入ると、初のマラソンで3位になり、当時の日本最高記録を樹立。23歳で東京五輪代表に選ばれる。常に劣等感を抱きながら努力を続けた君原は、唯一成績の良かった算数がマラソンで役立ったという。マラソンに緻密な計算を取り入れた、君原が理想とする走りとは? 高橋尚子や野口みずきなど、歴代金メダリストにも共通する走りについて語る。
東京オリンピックでは、最も期待されながらも結果は8位。円谷幸吉が銅メダルに輝いた。自国開催のプレッシャーに押しつぶされた、その苦しみを語ってくれた。一方で君原は、マラソン本番まで他の競技を観戦し、ある行動をとっていた。自国開催の大一番を前にした、君原の驚くべき行動とは? 
東京五輪後、君原は周囲の反対に耳を貸さず、1年間競技から離れた。一方、銅メダルを獲得した円谷は、国民の期待に応えるため、五輪でのメダル獲得を目指して休むことなく練習を続けていた。しかしメキシコ五輪の直前、円谷は自らの命を絶つ。君原は円谷の思いを果たすべく、メキシコ五輪に挑み、銀メダルを獲得した。明暗が分かれた東京五輪後の二人。君原が今、その胸の内を明かす。
競技引退後、君原は意外なことを始めた。大型二輪免許を取得し、ハーレーダビッドソンでお遍路を回ったのだ。なぜマラソンランナーがバイクにまたがったのか? そこにはマラソンランナーならではの思いがあった。そして2020年、2度目の東京五輪。君原はマラソンのチケットに応募し、なんと見事当選!観戦を楽しみにしているという君原が、マラソン代表に送る暖かいアドバイスとは…。
今回のインタビューが行われたのは、新国立競技場を見下ろす日本青年館ホテル。君原がメキシコ五輪出発前に宿泊したという、このホテルでの忘れられない思い出も語る。