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#434

芹洋子(歌手)

ゲスト×インタビュアー
芹洋子(歌手)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

1951年大阪府生まれ。中学で音楽教師をしていた母親の影響で、歌うことが大好きな少女だった。のど自慢大会に出場すると入賞、歌手の道へと進むのは自然な流れだった。中学3年生の時、歌番組のオーディションに合格。上京するとCMソングを歌い始め、「エバラ焼肉のたれ」「明治チョコレート」など、これまでに芹が歌ってきたCMソングは700曲近い。しかし、CMソングは歌手の名前が出ることがないので寂しかった、と当時の意外な本音を語る。

NHK「歌はともだち」のレギュラー出演が決定。ようやく自分の顔が世間に出ることが嬉しく、大阪に住む母親に報告をしていたそうだ。しかし、楽しみにしていた母親は、放送前にがんを患い、晴れ姿を見ることなく旅立った…。母親への特別思いを語る芹の目には涙が…。

「野に咲くバラのように」でレコードデビューしたものの、全く売れず、1976年に発表した「四季の歌」がミリオンセラーを記録。
「四季の歌」を歌うキッカケとなったのは、コンサート後に楽屋を訪ねてきた知り合いの看護師からたまたま聞いた、ある話だったという。
又、紅白歌合戦に初出場を果たした「坊がつる讃歌」など、名曲の誕生秘話もたっぷりと。

1991年、悲劇が襲う。交通事故にあい、名前や歌手だという記憶を失うことに。
だが、2ヶ月後に決まっていたコンサートを中止にせず、リハビリも兼ね、歌を1から覚え直していった。その壮絶な入リハビリ生活とは。
そして、再起をかけたコンサート当日に起きた奇跡とは。

芹はコンサートで童謡や叙情歌などを歌うファンと一緒に歌うスタイルを貫いている。そこにはファンに寄り添い一緒に前を向いて生きようという思いが込められていた。

インタビューは「おもいでのアルバム」の歌碑のある東京・つつじヶ丘の常楽院。
芹洋子のアクティブに生きる半生を数々の名曲と共に紹介する貴重な1時間。