バックナンバー

#404

間寛平(お笑い芸人)

ゲスト×インタビュアー
間寛平(お笑い芸人)× 舘野晴彦(編集者)

1949年7月20日、高知県宿毛市生まれ。生まれる前に父を病気で亡くし、母・みね子に女手ひとつで育てられる。大阪で暮らしはじめたのは小学6年のとき。そして世の中が歌謡曲ブームだった1960年代後半、高校を卒業した寛平は「歌手になる!」と、あてもないまま上京する。そこからどのようにして、お笑い芸人になったのか?
大阪・西成。通天閣にほど近いジャンジャン通りのストリップ劇場で芸人デビューした時、寛平は19歳だった。わずか数カ月で「若」と呼ばれるほど、絶大な人気を得た寛平は、翌年、吉本興業に入社。新喜劇で活躍していた花紀京の付き人になる。しかし、寛平の破天荒ぶりが災いし、突然クビの宣告を受けてしまう。
人気絶頂の中、寛平は28歳で結婚。その直後、思いもよらぬ出来事で1億円もの借金を背負ってしまう。だが、どこまでも前向きな寛平は、自らのキャラクター「アメママン」で再起を図ろうと試みるが…。法廷が爆笑に包まれたという「アメマ裁判」の舞台裏を語ってくれた。
2008年、還暦を目前にした寛平は、走りとヨットで地球一周する「アースマラソン」に人生をかけて挑む。それまで誰もやったことのない挑戦だった。そして日本を旅立ち1年が過ぎた頃、前立腺がんが発覚。それでもリタイアせずに走り続けた理由とは? さらに2年以上に及んだ地球一周の旅の中で、唯一、死を覚悟した場所があったという。その場所とは…?