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スポーツ
第55回記念明治神宮野球大会 高校の部 決勝
第55回明治神宮野球大会
2024年11月25日(月)午前10:00~午後1:00
静岡カントリー浜岡コース&ホテル(前編)
#146
極上!ゴルフ場探訪
2024年11月25日(月)よる10:00~10:30
エンタメ・音楽
原田左官工業所 前篇
#82
ウェルビーイング、みつけた
2024年11月25日(月)よる8:54~9:00
岐阜サウナめし
#202
サウナを愛でたい
2024年11月25日(月)よる10:30~10:54
シーズン16 1回戦 マッチ7
女子ゴルフペアマッチ選手権
2024年11月25日(月)よる9:00~10:00
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
地方創生DX「発信と体験」
~芸とおもてなしの文化~ あなたの知らない花街の魅力をご紹介します。
ゲスト×インタビュアー 國村隼(俳優)× 吉永みち子(作家) 1955年11月16日、熊本生まれの大阪育ち。車好きが高じて自動車のエンジニアを目指し、中学卒業後に高等専門学校へ入学。しかし、自分が理系でないことに気づき、4年の時に中退する。 暇を持て余していた國村に声をかけてきたのは、小学校の同級生だった。「劇団のオーディションがあるから、暇つぶしに受けてみないか?」。この言葉が転機となり、20歳で劇団の研究生に。アルバイトをしながら食いつなぐ日々を送る。 そして、1981年に公開された映画「ガキ帝国」で、スクリーンデビューを果たす。しかし、井筒和幸監督が手掛けたこの映画、制作に使える金額はわずか500万円だった。撮影の許可申請などはしておらず、人目を盗んで撮影をすることもあったという。 スクリーンデビューはしたものの、なかなか大きな仕事が来ないまま、いつしか30歳を超えていた國村。本当に役者で食っていくのかどうか、真剣に考えて人生をかけた博打に出る!新聞で見つけたハリウッド映画のオーディションを受けることにしたのだ。「もしも落ちたら、その時点で役者はやめる」と覚悟を決めて臨んだ結果…國村は見事選ばれた。それが、マイケル・ダグラス主演、高倉健、松田優作も出演したハリウッド映画「ブラック・レイン」(1989年)だった。共演者だった松田優作から「映画の楽しさ」を学び、自分も映画の世界で生きていこうと心に決める。 その後、國村は何本かの香港映画のオファーを受ける。1992年「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」では、ジョン・ウー監督や俳優のチョウ・ユンファとの映画づくりを経験。そして、2003年「キル・ビル Vol.1」では、ヤクザの親分役として再びハリウッド映画に出演した。そんな國村が海外作品に出る上で気をつけているのは「イメージ」。会話ではなく、芝居を見せることでコミュニュケーションをとり、台詞が難しい広東語などの時には「役は日本人で」「台詞も極力少なく」とオファーしているという。 数多くの作品で活躍し続ける國村の、プライベートの趣味は「渓流釣り」。疑似餌を使って、釣るか釣られるか? 魚とのゲームを楽しんでいるという。俳優という仕事の裏側から趣味の話まで、普段見られない素顔が詰まった、貴重な1時間!
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ゲスト×インタビュアー
國村隼(俳優)× 吉永みち子(作家)
1955年11月16日、熊本生まれの大阪育ち。車好きが高じて自動車のエンジニアを目指し、中学卒業後に高等専門学校へ入学。しかし、自分が理系でないことに気づき、4年の時に中退する。
暇を持て余していた國村に声をかけてきたのは、小学校の同級生だった。「劇団のオーディションがあるから、暇つぶしに受けてみないか?」。この言葉が転機となり、20歳で劇団の研究生に。アルバイトをしながら食いつなぐ日々を送る。
そして、1981年に公開された映画「ガキ帝国」で、スクリーンデビューを果たす。しかし、井筒和幸監督が手掛けたこの映画、制作に使える金額はわずか500万円だった。撮影の許可申請などはしておらず、人目を盗んで撮影をすることもあったという。
スクリーンデビューはしたものの、なかなか大きな仕事が来ないまま、いつしか30歳を超えていた國村。本当に役者で食っていくのかどうか、真剣に考えて人生をかけた博打に出る!新聞で見つけたハリウッド映画のオーディションを受けることにしたのだ。「もしも落ちたら、その時点で役者はやめる」と覚悟を決めて臨んだ結果…國村は見事選ばれた。それが、マイケル・ダグラス主演、高倉健、松田優作も出演したハリウッド映画「ブラック・レイン」(1989年)だった。共演者だった松田優作から「映画の楽しさ」を学び、自分も映画の世界で生きていこうと心に決める。
その後、國村は何本かの香港映画のオファーを受ける。1992年「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」では、ジョン・ウー監督や俳優のチョウ・ユンファとの映画づくりを経験。そして、2003年「キル・ビル Vol.1」では、ヤクザの親分役として再びハリウッド映画に出演した。そんな國村が海外作品に出る上で気をつけているのは「イメージ」。会話ではなく、芝居を見せることでコミュニュケーションをとり、台詞が難しい広東語などの時には「役は日本人で」「台詞も極力少なく」とオファーしているという。
数多くの作品で活躍し続ける國村の、プライベートの趣味は「渓流釣り」。疑似餌を使って、釣るか釣られるか? 魚とのゲームを楽しんでいるという。俳優という仕事の裏側から趣味の話まで、普段見られない素顔が詰まった、貴重な1時間!