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#367

中村美律子(歌手)

ゲスト×インタビュアー
中村美律子(歌手)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
 
1950年、大阪府東大阪市生まれ。5人兄弟で貧しい生活を強いられ、6畳一間に7人家族で暮らす。小学校2年生からは新聞販売店の仕事を始め、家計を助けてきた。そんな中村の唯一の楽しみは、父が聞いていたラジオ。美空ひばりや島倉千代子の歌を覚え、徐々に歌手になりたいという思いが芽生えていたという。
高校卒業後、中村は父親の経営するうどん屋を手伝いながら歌手を目指す。しかし、プロダクションに所属するも、掃除や運転などの雑用をこなす日々…。一大決心をしてプロダクションを辞め、キャバレーなどで歌い始める。当時の思い、歌手になる夢と現実との葛藤とは?
そして1986年、ついに36歳で遅咲きデビュー。3曲目にリリースした「河内おとこ節」が大ヒットし、1992年には紅白歌合戦に初出場を果たした。初めて紅白の舞台に立った中村の心には、晴れ姿を見ることなく亡くなった最愛の父への感謝、そして家族への思いがあった。
それ以降、15回も紅白の舞台に立ち、“演歌界の重鎮”として広く名を知られるように。そして67歳になった今もなお、多くの名曲を歌い続け、パワフルな歌声で人々を魅了している。そんな中村が、演歌歌手にとって“命”ともいうべき歌声を保つために心がけているのが、笑うこと。そして喉のために「カレーライスはあかん!」と中村はいう。
 また、伝統芸能や浪曲も学び、昨年のデビュー30周年の際には、長編歌謡浪曲「無法松の恋」を発表した。座長を務める公演は、新歌舞伎座の観客動員数を塗り替えるほどの人気ぶりだ。力強い歌唱力でファンの胸を熱くさせ、時には泣かす…その歌声には、一体どんな魅力が隠されているのか?
中村の名調子で、終始笑いに包まれた今回のインタビュー。歌手・中村美律子の知られざる素顔と底抜けに明るい人間力を、名曲の数々とともにひもといていく。