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#354

西郷輝彦(歌手、俳優)

ゲスト×インタビュアー
西郷輝彦(歌手、俳優)×嶌信彦(ジャーナリスト)

1947年、鹿児島県生まれ。父は呉服店の営業マン、母は生家で衣料品店を切り盛りしながら2人の兄と姉、そして末っ子の西郷を育てた。豊かな自然の中で育った西郷は活発で、目立つことが大好きだったという。
少年時代、西郷はその後の人生に大きな影響を及ぼす経験をする。9歳の時に次兄が熱中症で、そして15歳の時に長兄が釣りに出かけた際の事故で、相次いで亡くなったのだ。とりわけ、長兄は地元のジャズバンドのドラマーとして活動しており、西郷にとって憧れの存在だった。この時「2人の兄の分を背負って生きる」そう心に決めた西郷は、長兄の影響もあり、歌手を目指すことに。
高校1年の夏休みには、大阪のジャズ喫茶で行われていたボーカリストコンテストを受けるため家出。この日、母と交わした会話を、西郷は今も忘れることができないという。その会話の内容とは?
コンテストには落選したが、シンガー兼下働きとしてバンドにもぐり込んだ西郷。しかし、来る日も来る日も、楽器や機材などの荷物を運ぶ雑用ばかりで先行きの見えない苦しい生活が続いた。そんな西郷に、ある日チャンスが訪れる。当時、芸能プロダクションのマネジャーをしていた相澤秀禎氏(元・サンミュージックプロダクション会長)に目をかけられたのだ。スターとしての資質を見いだされた西郷は、上京を決意する。
1964年、17歳になったばかりでクラウンレコードの新人専属歌手第一号として「君だけを」をリリース。デビューと同時に人気が爆発し、一躍スターの座に上り詰めた。その後、「星娘」「星のフラメンコ」など大ヒット曲を連発し、橋幸夫や舟木一夫と共に日本歌謡界の「御三家」と称されるまでに。ライバルとしてしのぎを削った3人、当時の関係性とさまざまなエピソードを赤裸々に語る。
1967年以降は、ザ・タイガースなどグループサウンズが流行し、御三家ブームは終焉(しゅうえん)を迎えた。レコードのセールスも低迷した西郷は、ここである決断を下す。歌手から俳優に転向したのだ。そのきっかけとなったエピソードとは?
1973年、26歳でテレビドラマ「どてらい男」に主演。裸一貫からのし上がっていく大阪の商人を演じ評判に。最高視聴率は35.2%を記録し、3年半にわたる大ヒットシリーズとなった。しかし当初、このドラマへの出演は、当時所属していた事務所の大反対にあったという。その理由とは?
その後も人気テレビ時代劇「江戸を斬る」で5年にわたり江戸町奉行・遠山金四郎を演じるなど、俳優としての地位を確立。そんな西郷が師と仰ぐのが、名優・森繁久彌だ。数多くの舞台で共演した西郷が、森繁から学んだこととは?
また、西郷は2度の結婚を経験している。最初の相手は、当時人気絶頂だった歌手・辺見マリ。スター同士の結婚に、当時の周りの反響は? そして9年間の結婚生活に終止符を打った理由とは?
現在、新たな家庭を築き上げた心境も交えて、あまり語られないプライベートについても明かす。
インタビュアーは、西郷と同時代を生きてきたジャーナリスト・嶌信彦。奇しくもこの番組で、橋幸夫と舟木一夫のインタビューを担当してきた嶌は、今回のインタビューで御三家全員と対談することになった。ジャーナリストならではの視点で、その知られざる半生に斬り込む!