バックナンバー

#332

泉谷しげる(シンガーソングライター・俳優)

ゲスト×インタビュアー
泉谷しげる(シンガーソングライター・俳優)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

1948年、5人兄妹の次男として、青森県で生まれる。父親は大工。3歳の時、一家は東京の目黒区に移り住んだ。意外にも、少年時代は身体が弱く、内気な性格。夢は漫画家になることだったという。破天荒なキャラクターは、どのようにして生まれのか? そこに隠された、意外な事実とは?
音楽との出会いは、1963年、15歳の時。友人から「ギターを持って立っているだけでいい」とリクエストがあり、ローリング・ストーンズのコピーバンドを始める。フォークへの転向は、その4年後。そのきっかけは、何と“火事”だった。自宅で預かっていたバンドの楽器や機材が、全て燃えてしまったのだ。この出来事が、泉谷をフォークの世界へ導いた。
音楽の師匠は、忌野清志郎。泉谷がまだ二十歳の時、3歳年下の清志郎が「RCサクセション」でデビューを果たす。その存在そのものに衝撃を受けた泉谷は、あの手この手を使って、清志郎に近づこうと試みた。清志郎に奮い立たされた泉谷は、野外コンサートに乱入。観客を騒然とさせる歌を披露する。それは、当時勃発していたベトナム戦争への反戦歌だった。
1971年、23歳でメジャーデビュー。翌年、その名が全国区になる大ヒット曲が生まれる。それが、2013年の紅白歌合戦に初出場した際に熱唱した「春夏秋冬」だ。わずか15分でできたという、その曲の誕生の舞台裏とは?
1974年、井上陽水、小室等、吉田拓郎とともにレコード会社を設立。当時、ミュージシャンがレーベルを持つことは斬新なことだった。しかし、会社の経営に時間が割かれるようになると、2年後、泉谷だけが会社を去った。すると、“フォークの裏切り者”と呼ばれ、ファンが一気に激減。貯金で食いつなぐ日々に…。そんな時、舞い込んできたのが、役者としての仕事だった。“戦後最大の誘拐事件”の犯人役を泉谷は見事に演じ、称賛を浴びる。この時、泉谷にオファーをした意外な人物とは?
今回のインタビューの舞台は、東京・目黒で泉谷が行きつけの、京都のおばんざい屋。リラックスした雰囲気の中、フォークへの思い、被災地救援のチャリティー活動の舞台裏、そして人生を元気に楽しく生きる秘訣(ひけつ)…古希を前に、泉谷しげるの知られざる「裸の履歴書」が明かされていく。今回、泉谷から垣間見えた素顔には、毒の中にもキラリと光る優しさがあった…。