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#328

寺島進(俳優)

ゲスト×インタビュアー
寺島進(俳優)×ヤン ヨンヒ(映画監督)

「たけしさんがいなかったら、今のオレはいない…」20代半ばになっても無名だった寺島の才能は、北野武監督に見出されたといっても過言ではない。その後、“北野映画”の常連となり、多くの作品で、キラリと光る存在感を見せてきた。昨年は、NHKの大河ドラマ「真田丸」で出浦昌相役を熱演、さらにテレビ朝日系列「動物戦隊ジュウオウジャー」ではヒーロー戦隊役を演じるなど、ますます演技の幅広を広げている。芸歴33年、子どもから大人まで、幅広く愛される“名バイプレイヤー”の知られざる役者人生とは? 
1963年、男ばかり3人兄弟の次男坊として、東京下町・深川で生まれた。実家は、祖父の代から続く老舗の畳屋。このころは、まだ将来役者になるとは、夢にも思っていなかったという。寺島少年の、当時の夢とは?
1980年代、畳職人の仕事が激減し、父から「好きなことをやれ」と告げられた寺島は、高校を卒業すると知人の勧めで、俳優・三船敏郎が設立した俳優養成学校に入学する。そこで出会ったのが“殺陣”。その奥深さと面白さにすっかり魅了された寺島は、養成学校卒業後、殺陣師集団「剣友会」に所属する。アクションスタントから斬られ役まで、何でもこなす大部屋俳優としての道を歩み始めた。
そんな中、生活するのがやっとだった当時の寺島を、役者へと向かわせるある人物との出会いが訪れる。その人とは、俳優・松田優作。ある劇団の稽古場での出会いが縁となり、22歳の時、松田優作初の監督作品「ア・ホーマンス」で映画デビュー。せりふひとつない、名無しのチンピラ役にも関わらず、映画の楽しさに夢中になったという。しかし、その3年後、松田ががんで他界。続けざまに、自身の父親も亡くした。
失意の寺島に、再びかけがえのない出会いが訪れる。北野武監督のデビュー作「その男、凶暴につき」のオーディションに合格したのだ。北野監督との出会いが、寺島の役者人生の歯車をゆっくりと動かし始めた。
1991年には、北野映画3作品目「あの夏、いちばん静かな海。」に出演。わずか数分の出演にもかかわらず、この時北野監督から“役者としての希望”となる言葉を掛けられる。その言葉とともに、当時の思いを振り返る。また、北野監督にほれ込んだ寺島が、アメリカまでアポなしで、監督を訪ねたというエピソードも。その時の北野監督の反応とは? 
これまで、自らの身の上を語る番組にはほとんど出演をしてこなかったという寺島。インタビューの舞台は、東京・錦糸町にある寺島行きつけの高級キャバクラ。インタビュアーの映画監督・ヤン ヨンヒと酒を交わしながら、リラックスした雰囲気の中、寺島が自身の半生を語る。芝居への思い、6歳の娘を持つ父親としての顔、そして今後の人生について…その知られざる半生が赤裸々に語られる!