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#322

松本隆(作詞家)

ゲスト×インタビュアー
松本隆(作詞家)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

「ルビーの指環」「赤いスイートピー」「卒業」「Romanticが止まらない」「冬のリヴィエラ」「セクシャルバイオレットNo.1」「木綿のハンカチーフ」…これまで、数え切れないほどの歌詞を世に送り出してきた。
1949年、東京都港区青山で、3人兄弟の長男として生まれる。慶應義塾大学中等部3年生の時、ビートルズに出会いロックに目覚める。高校に入り、ドラムセットを買ってもらうと練習に没頭、ドラムコンテストで優勝するほどの腕前に。
1969年に結成したロックバンド「はっぴいえんど」では、作詞を担当。この時のメンバーは、後にYMOのリーダーとなる細野晴臣、そして、歌手・大瀧詠一、天才ギターリスト・鈴木茂という、そうそうたる顔ぶれだった。「はっぴいえんど」解散後、松本は本格的な職業作詞家へと転身する。
1975年「木綿のハンカチーフ」のヒットにより、作詞家・松本隆の名は瞬く間に日本全国に広まった。当時の松本にとって雲の上の存在だったのが、作詞界の大御所・阿久悠。あえて阿久とは違う路線を行くことで、松本は自身のカラーを出していく。
1980年、松本に大きな悲しみが降りかかる。幼いころから病弱だった妹が亡くなったのだ。悲しみのあまり、半年もの間、詞が書けなくなった。この時、ちょうど大瀧詠一から作詞の依頼を受けていた松本は、断りの電話を入れるが、この時大瀧からは「松本しか考えていない、1年でも待つ」といわれたという。心のリハビリをした松本は、CMソングとして人気を博した「君は天然色」を作詞。この時の心境を、「悲劇は創作のバネになる」と、松本は振り返る。
1982年には、松田聖子の名曲「赤いスイートピー」を発表。作詞家である松本が、作曲を松任谷由実に依頼した。実は“スイートピー”に、当時赤い品種はなかったのだという。しかし、この曲の大ヒットにより、赤い品種が作られることになった、という驚きのエピソードも披露する。
1985年には、斉藤由貴のデビュー曲「卒業」を作詞。卒業式でも泣かないという自意識が強い女性を描き、この曲も大ヒットを遂げた。今回のインタビュアー・小島慶子が、「卒業」にまつわる松本のプライベートに切り込むと、松本がタジタジになってしまう場面も…。大御所作詞家の意外な素顔が明らかになる。
1990年代、松本は作詞家としての活動を休止する。その中でも1997年に発表したKinKi Kidsの「硝子の少年」は、まだ自分に作詞家としての賞味期限は残っているのか? を問いかけるための挑戦だった、と語る。大ヒットした「硝子の少年」、今だから語れるこの曲への特別な思いとは?
4月19日に発売される歌手・クミコの新曲「砂時計」についても。作詞・松本隆、作曲はつんくが担当する。2人が始めて初タッグを組み完成した「砂時計」、この曲の手ごたえとともに、今後の展望についても思いの丈を明かす。