バックナンバー

#320

梅沢富美男(俳優)

ゲスト×インタビュアー
梅沢富美男(俳優)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

大衆演劇、梅沢劇団の3代目座長として舞台に出演し続けている。近年はコメンテーターとしても活躍し、時には過激すぎる発言でネットが炎上することも…。テレビや映画など、娯楽のあふれる中でも、日本の大衆演劇の伝統を引率し続けている。そんな梅沢の代名詞と呼ばれるのが“女形”。その美しい姿と立ち振る舞いに、多くの観客は酔いしれる。梅沢富美男は、なぜ観客に愛され続けるのか? 
1950年、旅芸人の一座の父と母の間に生まれる。1歳5カ月で舞台デビュー、天才子役と呼ばれ、舞台に立ちながら日本全国を旅してきた。しかし、義務教育を受けるため、劇団や家族と離れて福島に住む母方の祖母のもとへ。そこで、梅沢は極貧生活を強いられる。給食費も払えず、食べるものもままならない日々…。あまりの貧しさに、当時は役者の両親を恨んだこともあったという。
中学3年生の時、父から梅沢劇団を継いでいた兄に誘われ、舞台に立つことに。目玉焼きハンバーグを食べられる、という“餌”につられての出演ではあったが、梅沢が舞台に立った瞬間、観客が沸き立った。この時「1人の人間が100人の人を感動させられる」と体中の血が騒ぎ、その後、役者を志すことに。しかし、観客が沸いたのは別の意味で勘違いだった、と当時を振り返る。その真意とは?
25歳の時、“女形”への挑戦を決意。女性の仕草を研究し続けたという、苦悩の日々を語る。そのしぐさや作法には、日ごろから行っているという知られざる努力があった。
1982年には、小椋佳作詞作曲の「夢芝居」が50万枚を売り上げる大ヒットに。しかし、当時梅沢は歌をうたいたくなかったという。今だから語れる「夢芝居」の誕生に隠された、物語とは? 
1990年に結婚し、2人の娘を授かった梅沢。娘のために“キャラ弁”を作るというほどの溺愛ぶりだ。しかし、娘からは世間に梅沢富美男の娘だと知られた時に、周りから男性がいなくなる、と怒られるという。プライベートについて、さらに梅沢流“浮気のマナー”(?)についても赤裸々に語る!
2012年、梅沢劇団の3代目座長に就任。現在40名の団員、スタッフとともに舞台に出演し続けている。梅沢劇団の看板を背負う責任とは? さらに“夢のある舞台を観客は見にきている”という梅沢が、大衆演劇の今後についても思いを語り尽くす!