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旅・くらし
ひきこもり娘&決断苦手ママ 迷いを断ち切れスペシャル
#238
ウチ、“断捨離”しました!
2024年11月26日(火)よる9:00~9:54
世界一簡単な再生栽培
#8
夢が咲く 有吉園芸 ~Road to start a garden shop~
2024年11月26日(火)よる10:30~11:00
エンタメ・音楽
山中湖・前編
#150
バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎
2024年11月26日(火)よる10:00~10:30
原田左官工業所 前篇
#82
ウェルビーイング、みつけた
2024年11月25日(月)よる8:54~9:00
岐阜サウナめし
#202
サウナを愛でたい
2024年11月25日(月)よる10:30~10:54
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
地方創生DX「発信と体験」
~芸とおもてなしの文化~ あなたの知らない花街の魅力をご紹介します。
ゲスト×インタビュアー 佐藤琢磨(レーシングドライバー)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
モータースポーツの最高峰、F1グランプリに出場し、現在はアメリカのインディカー・シリーズで活躍を続けるレーシングドライバー・佐藤琢磨。佐藤のF1マシンを前に、インタビュアー・宮嶋泰子がその素顔を明かしていく。 通常、モータースポーツの最前線で活躍するドライバーは幼少期からレーシングカートで腕を磨き、徐々にステップアップしていく。しかし、佐藤はその定石の道をたどっていない。佐藤がモータースポーツに興味を抱いたのは10歳の時。鈴鹿サーキットで初開催されたF1グランプリを観戦し、アイルトン・セナの走りに強くひかれた。しかし、どのようにしてその世界に入れば良いのか、そのすべがわからなかった。 そこで佐藤が興味を抱いたのが、自転車競技。車と同じように車輪があり、研ぎすまされた競技用自転車は、若き佐藤にはF1のように見えたという。そして、やるからにはトップになりたいという佐藤の闘争心が、道を切り開いていく。自転車部の無かった高校では考古学が専門の担任に自転車部設立を嘆願し、顧問1名、部員1名で自転車部を設立。体格的に劣る自らの弱点を補うため、ライバルたちの走りや戦略を徹底的に研究し、高校3年生の時にはインターハイを制し、日本一の座を手に入れた。 早稲田大学に進学後、佐藤に大きな転機が訪れる。鈴鹿サーキットが運営するレーシングスクールに、入校することになったのだ。心の中にはずっと「F1ドライバーになる」という夢があったという。持ち前の身体能力と探究心でスクールを首席で卒業すると、佐藤は次のステップへ。憧れのアイルトン・セナが制したイギリスF3へ参戦すると、圧倒的なパワーでシリーズを制覇。さらに、世界中が注目する世界一決定戦、マカオグランプリで優勝すると、2002年、日本人として史上7人目のフルタイムF1ドライバーに。モータースポーツの世界に身を投じ、わずか5年で頂点のカテゴリーに到達した偉業は、日本のみならず、世界中から注目された。 世界最高峰のカテゴリーにおいても佐藤は活躍を続け、2004年には当時の日本人記録を次々と塗り替え、アメリカグランプリでは3位表彰台を獲得した。しかし、2006年から加入したオールジャパンのチーム、スーパーアグリでは苦難の連続。2008年、資金難からチームはシーズン途中にF1から撤退。佐藤もシートを失ってしまう。諦めずオファーを待ち続けた佐藤だったが、再び佐藤がF1のシートに座ることはその後なかった。 しかし、佐藤は引退することなく、新天地アメリカに活躍の場を求める。北米最高峰のインディカー・シリーズに2010年から参戦を始めたのだ。“インディ”といえば、モナコグランプリ、ル・マン24時間と並び、世界三大レースの一つに数えられる。佐藤は、ここでも印象的な走りを披露し、目が肥えたアメリカのレースファンの心をつかんだ。今年40歳を迎えた佐藤は、名門チームに移籍、さらなる活躍が期待されている。 佐藤は、人生のさまざまな局面で何を考え、どうアクションを起こしてきたのか? 一つ一つを丁寧に話す佐藤の言葉に、インタビュアーの宮嶋も感心することしきり。番組を見れば、佐藤がなぜ世界を舞台に活躍を続けることができるのか、あなたも納得できるはず!
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ゲスト×インタビュアー
佐藤琢磨(レーシングドライバー)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
モータースポーツの最高峰、F1グランプリに出場し、現在はアメリカのインディカー・シリーズで活躍を続けるレーシングドライバー・佐藤琢磨。佐藤のF1マシンを前に、インタビュアー・宮嶋泰子がその素顔を明かしていく。
通常、モータースポーツの最前線で活躍するドライバーは幼少期からレーシングカートで腕を磨き、徐々にステップアップしていく。しかし、佐藤はその定石の道をたどっていない。佐藤がモータースポーツに興味を抱いたのは10歳の時。鈴鹿サーキットで初開催されたF1グランプリを観戦し、アイルトン・セナの走りに強くひかれた。しかし、どのようにしてその世界に入れば良いのか、そのすべがわからなかった。
そこで佐藤が興味を抱いたのが、自転車競技。車と同じように車輪があり、研ぎすまされた競技用自転車は、若き佐藤にはF1のように見えたという。そして、やるからにはトップになりたいという佐藤の闘争心が、道を切り開いていく。自転車部の無かった高校では考古学が専門の担任に自転車部設立を嘆願し、顧問1名、部員1名で自転車部を設立。体格的に劣る自らの弱点を補うため、ライバルたちの走りや戦略を徹底的に研究し、高校3年生の時にはインターハイを制し、日本一の座を手に入れた。
早稲田大学に進学後、佐藤に大きな転機が訪れる。鈴鹿サーキットが運営するレーシングスクールに、入校することになったのだ。心の中にはずっと「F1ドライバーになる」という夢があったという。持ち前の身体能力と探究心でスクールを首席で卒業すると、佐藤は次のステップへ。憧れのアイルトン・セナが制したイギリスF3へ参戦すると、圧倒的なパワーでシリーズを制覇。さらに、世界中が注目する世界一決定戦、マカオグランプリで優勝すると、2002年、日本人として史上7人目のフルタイムF1ドライバーに。モータースポーツの世界に身を投じ、わずか5年で頂点のカテゴリーに到達した偉業は、日本のみならず、世界中から注目された。
世界最高峰のカテゴリーにおいても佐藤は活躍を続け、2004年には当時の日本人記録を次々と塗り替え、アメリカグランプリでは3位表彰台を獲得した。しかし、2006年から加入したオールジャパンのチーム、スーパーアグリでは苦難の連続。2008年、資金難からチームはシーズン途中にF1から撤退。佐藤もシートを失ってしまう。諦めずオファーを待ち続けた佐藤だったが、再び佐藤がF1のシートに座ることはその後なかった。
しかし、佐藤は引退することなく、新天地アメリカに活躍の場を求める。北米最高峰のインディカー・シリーズに2010年から参戦を始めたのだ。“インディ”といえば、モナコグランプリ、ル・マン24時間と並び、世界三大レースの一つに数えられる。佐藤は、ここでも印象的な走りを披露し、目が肥えたアメリカのレースファンの心をつかんだ。今年40歳を迎えた佐藤は、名門チームに移籍、さらなる活躍が期待されている。 佐藤は、人生のさまざまな局面で何を考え、どうアクションを起こしてきたのか? 一つ一つを丁寧に話す佐藤の言葉に、インタビュアーの宮嶋も感心することしきり。番組を見れば、佐藤がなぜ世界を舞台に活躍を続けることができるのか、あなたも納得できるはず!