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#302

近藤文夫(てんぷら近藤 店主)

ゲスト×インタビュアー
近藤文夫(てんぷら近藤 店主)×松岡修造(スポーツキャスター)

衣をつけて揚げる、この料理に半世紀以上向き合ってきた近藤。天ぷらは魚介を揚げる料理だと考えられていた時代に、近藤は野菜を取り入れ新ジャンルを生み出した。近藤が腕を振るう店は「ミシュランガイド」で9年連続“星”を獲得。客足は途絶えることなく、海外でも注目され、1か月先まで予約で埋まっている。なぜ近藤のてんぷらを求め客が集まるのか? また、近藤のこだわる天ぷらの極意とは? インタビュアーは、スポーツキャスター松岡修造が務める。
まず、自ら足を運び仕入れてきた旬の食材を、松岡に振る舞う近藤。エビ、キス、白子…などを、次々に目の前で揚げてゆく。あめ細工のようなニンジンのかき揚げ、サツマイモは厚さ約7cmの塊をじっくりと揚げてゆく。名人技ともいえる天ぷらの揚げ方、その極意とコツとは?
1947年、両親と4つ離れた兄の4人家族に生まれる。6歳の時に父が他界し、母は駄菓子屋と内職の仕事をして一家を支えていた。近藤は苦労する母を助けるために、毎朝まきでご飯炊きをしていたという。
18歳の時、東京御茶ノ水の「山の上ホテル」で和食の修行を開始。半年後に天ぷらと出会う。23歳で料理長に任命された近藤は、独学で野菜を天ぷらに取り入れることを決意。しかし当時は、魚介が支流の時代…。野菜の天ぷらを受け入れてくれる客はいなかった。
近藤の天ぷらは、作家・池波正太郎や写真家・土門拳などの文化人に愛されてきた。中でも池波正太郎は、頭があがらない存在だという。池波にクビを覚悟するほど、失礼なことをしたという、当時のエピソードとは? さらに、池波から教わったという料理の精神とは?
1991年に独立し、「てんぷら近藤」を開店。のれんや仕事着には池波の文字を使用した。
2014年、オバマ元大統領が来日した際には天ぷらを揚げてほしいと頼まれるが、「先に予約してくれたお客さんを断ることはできない」と断ったエピソードも。そこには客の本当の笑顔を見たいという近藤の信念があった。
今年70歳を迎える近藤の夢は、「天ぷらを世界中に広めること」。自身の後継者について語った近藤、そこには弟子に対する思いにあふれていた。