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#295

湯川れい子(音楽評論家・作詞家)

ゲスト×インタビュアー
湯川れい子(音楽評論家・作詞家)×石原正康(編集者)

日本で唯一、世界三大ビッグアーティスト、エルビス・プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソンと交流があった日本人。現在80歳、音楽生活は55周年を迎えた。
父親は元海軍大佐、母は専業主婦で、兄2人の3人兄妹。読書好きだった湯川に母がラジオを与えたことが、洋楽と出会うきっかけとなった。
湯川の出発点は、女優。しかし、女優の世界では、芽が出なかった。そのころ通っていたジャズ喫茶「コンボ」で、モダンジャズに魅了された湯川は、雑誌「スイング・ジャーナル」の読者投稿欄に寄稿。大橋巨泉や渡辺貞夫らを輩出した名門のジャズ喫茶で耳が肥えた湯川の記事は反響を呼び、音楽評論家の世界へ足を踏み入れた。その後は、その洞察力と行動力で、評論家活動のほか、「全米トップ40」など人気ラジオ番組のDJも務めた。
評論家としての知名度が上がる中、湯川にさまざまな仕事が舞い込んでくる。その一つがビートルズ初来日の記事の依頼だった。しかし、この時は、公式の会見以外は取材NG。インタビューと写真がなければ記事にできないと思い、ビートルズが宿泊しているホテルの部屋に潜入、単独インタビューに成功する。さらに湯川は、エルビス・プレスリーに自身の結婚の証人になってもらっていた! マイケル・ジャクソンは長年にわたって交流も…。なぜ、湯川は世界のビッグアーティストと、そのような関係を築くことができたのか?
音楽評論家である一方、「六本木心中」や「ああ無情」「センチメンタル・ジャーニー」「恋におちて-Fall in love-」などの作詞で数々のヒット曲を飛ばしてきた湯川。中でも思い入れが強いのが、最初のヒット曲、シャネルズの「ランナウェイ」。実はこの歌詞、ジャズにはまりジャズ喫茶「コンボ」に出入りしていた時の、ドラマのような恋の思い出が歌詞になっていた。
独自の視点でポップスの評論・解説を手掛け、世に国内外の音楽シーンを紹介し続けてきた湯川れい子。その類いまれな原動力はどこからくるのか? 編集者の石原正康がひもといていく。