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#125

作詞家・阿木燿子/安井かずみ

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「プレイバックPart2」「魅せられて」などで昭和歌謡に強烈なインパクトを与えた作詞家・阿木燿子。「危険なふたり」「わたしの城下町」などで昭和歌謡に大きな彩りを与えた作詞家・安井かずみ。この2人の卓越した感性&センスで多くのヒット曲が生まれた。その名曲誕生の秘話と人生の軌跡、ターニングポイントをたどる。
 
●作詞のきっかけ(阿木燿子)
終戦の年に生まれた阿木は、対人恐怖症に悩む思春期を過ごす。大学進学後、軽音サークルに勧誘してきたのが宇崎竜童だった。誘われるまま入部し、宇崎から作詞を依頼されるようになる。次第に心の病も影を潜め、人生の歯車が大きく回り始める。
 
●漣健児との出会い(安井かずみ)
幼少期に戦争を経験した安井。画家を目指していたが、「赤鼻のトナカイ」「可愛いベイビー」などの訳詞で知られる漣健児の会社でアルバイトし、自身も訳詞を始める。エルヴィス・プレスリー「G.I.ブルース」の訳詞をきっかけに作詞へとフィールドを広げる。
 
●山口百恵との巡り合い(阿木燿子)
26歳で結婚するも宇崎は職を転々とし、貧しい暮らしが続く。転機は結婚2年目。デビューする宇崎に頼まれて作詞した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。翌年、山口百恵からオファーが。阿木が山口に贈った歌が「横須賀ストーリー」だった。
 
●時代の人気者(安井かずみ)
類まれなセンスで訳詞、作詞ともに次々とヒットを飛ばし、1965年、伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で日本レコード大賞作詞賞を受賞。安井は若干26歳にして頂点に立つ。派手な私生活、元来の奔放な性格も注目を浴び、女性の社会進出の旗印に。
 
●名曲と歌手の架け橋(阿木燿子・安井かずみ)
安井は「ちぎれた愛」で西城秀樹を、「危険なふたり」で沢田研二を初のチャート1位に押し上げ、歌手にとってかけがえのない作詞家に。阿木は山口百恵を大人の歌手に導き、黄金期をもたらす。ヒットを量産する2人は不動の地位を築く。
 
●女性のトップランナー(安井かずみ)
偉大な男性作詞家が居並ぶ音楽業界において、現代ポップスの源流を築いた安井。しかし、再婚した加藤和彦と幸せな生活を送るなか、病魔に襲われ55歳で逝去。短い生涯において4000曲を越える膨大な楽曲と33冊のエッセイを残した。
 
●八面六臂(ろっぴ)の活躍(阿木燿子)
作詞だけにとどまらず、美貌を買われて女優業にも進出。デビュー映画では助演女優賞を獲得する。また、作家として多数の書籍を発表するほか、脚本・監督で映画も手掛けるように。義父の介護経験から講演も行い、多岐にわたって活躍を続けている。