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#123

中村泰士・古関裕而

「喝采」「心のこり」「北酒場」など多くのヒット曲を昭和歌謡史に刻んだ中村泰士。「長崎の鐘」「栄冠は君に輝く」「オリンピック・マーチ」をはじめ、後世に残る幾多の曲を手掛けた古関裕而。時代のバトンを受け継ぐように生きた2人の足跡をたどって見えてきたものは、昭和の歴史そのものだった。
昭和歌謡黄金期の筆頭、中村は第二次世界大戦が勃発した年に生まれ、幼くして激動の時代を経験した。古関は戦前から活躍し、昭和が最も揺らいだ時代を照らし続けた。時代に翻弄(ほんろう)されながらも、昭和をけん引した2人の作曲家の人生を不朽の名曲と共に探る。
 
●すき焼きと吹奏楽(中村泰士)
5歳のときに父親を亡くし、一家の生活はどん底に。友達にからかわれてしまうほどの貧しさにあえぐなか、母親が食べさせてくれた“すき焼き”に親孝行を決意する。中学生になると吹奏楽部に入り、トロンボーンやオルガンを弾いたことが歌謡曲作りの原点となる。
 
●作曲に夢中の少年(古関裕而)
 音楽好きの父親の影響で小学生時代に音楽に目覚める。家業を継ぐため商業高校に進むも常にハーモニカを携帯し、音楽三昧の日々。実家の呉服屋が倒産し地元の銀行へ就職するが、作曲家の夢を捨て難く、憧れの山田耕筰に作品を送り交流を続けた。
 
●ロックとの出合い(中村泰士)
進学した高校に吹奏楽部がなく、教師に頼んで結成する。しかし、高校2年生のときに出会ったエルヴィス・プレスリーやニール・セダカの音楽が人生を変える。高校を中退し、佐川満男と内田裕也のバンドのオーディションを受け、音楽活動を開始。1957年、“美川鯛児”の名でデビューを果たすが…。
 
●プロへの道(古関裕而)
昭和4年、イギリスのコンクールで入賞。翌年、山田耕筰の推薦で日本コロムビア専属となる。「船頭可愛や」で初ヒットを飛ばすもやがて時代は戦争へ。軍歌を多く手掛け、国民を時に鼓舞し、時に癒やした。だが、古関は戦死した人々への自責の念にかられてしまう。
 
●挫折と転身(中村泰士)
歌手デビューはしたものの全く売れず、誰も中村の曲を書いてくれなくなり、自ら作詞作曲をするようになる。一度は音楽を諦め郷里に帰るも、曲作りを継続し才能が開花し、佐川満男「今は幸せかい」が大ヒットする。さらに、歌声に衝撃を受け、志願して作曲した、ちあきなおみの「喝采」が日本レコード大賞を獲得する。
 
●戦後の名曲たち(古関裕而)
「戦争で傷つき苦しんだ人々を包み込むメロディーを」と立ち上がった古関は、ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』『君の名は』などの主題歌を手掛け、一世を風靡(ふうび)する。「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」「オリンピック・マーチ」では希望の旋律で人々の心を潤していった。
 
●うつ病との闘い(中村泰士)
細川たかし「心のこり」、桜田淳子「わたしの青い鳥」などヒットを連発。しかし、ヒットメーカーをうつ病が苦しめる。その中で生まれたのが細川たかし「北酒場」だった。中村は病を乗り越え、タレントや歌手としても活躍を広げていく。