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#121

フランク永井・坂本冬美

「有楽町で逢いましょう」「東京ナイト・クラブ」「おまえに」などのヒット曲で昭和歌謡に新風を吹き込んだフランク永井。「あばれ太鼓」「男の情話」で男歌を魅力的に歌い上げた坂本冬美。フランク永井は作曲家・吉田正、坂本冬美は作曲家・猪俣公章の弟子として薫陶を受け、師匠が作曲した歌で多くの人々の心を魅了した。吉田正に発掘され、歌手として人気を博したフランク永井。猪俣公章の内弟子として厳しい下積み時代を過ごした坂本冬美。多くの試練を乗り越えた、2人の歌手人生とは?
 
●米軍キャンプでつかんだチャンス(フランク永井)
幼い頃に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に女手一つで育てられたフランク永井。旅芸人や歌手に囲まれて育ち、19歳で東京へ。米軍キャンプでアルバイトをしながらプロを目指し、クラブ歌手として夢を追い続けていた。
 
●人生を決めた曲〈坂本冬美〉
小学生の時、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」と出合う。以来、一筋に演歌歌手を目指し、社会人時代にコンクールで優勝。作曲家・猪俣公章の目に留まり、内弟子に。厳しい内弟子時代を過ごしてようやくデビュー。デビュー曲「あばれ太鼓」が大ヒットするが、坂本に試練が…。
 
●のど自慢荒らし(フランク永井)
ラジオでたまたま流れてきたコンクールへの応募を機に、さまざまな大会に出場。“のど自慢荒らし”の異名を取り、ビクターから念願のデビューを果たすが、まったく売れない日々。ある時、作曲家・吉田正と出会う。吉田は売れない永井を目に掛け、レッスンを受け持つ。
 
●引退の危機と蘇生(坂本冬美)
「夜桜お七」などヒットを連発し、スター街道をひた走る中、師匠である猪俣と実父が立て続けに亡くなる。薄れていく歌への情熱…。引退危機を救ったのは、テレビでたまたま見た、二葉百合子の「岸壁の母」だった。坂本は二葉を訪ね、復活への一歩を踏み出す。
 
●人生を変えた師(フランク永井)
吉田の助言でジャズ・ポップスからムード歌謡の歌手に転向。そして、吉田が「有楽町で逢いましょう」の歌手として抜てきする。それにより永井は一躍スターの仲間入りを果たす。日本レコード大賞受賞、NHK紅白歌合戦に26回連続出場を記録するなど、不動の人気を得る。
 
●原点の歌で復活(坂本冬美)
休業から一年後、活動を再開した坂本は、その年のNHK紅白歌合戦に返り咲く。選んだ曲は猪俣が手掛けたデビュー曲「あばれ太鼓」。涙の熱唱は多くの人の胸を打った。師の歌でよみがえった坂本は、精力的に新曲をリリースし、心に響く歌を届け続けている。