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#118

浜圭介

『終着駅』『哀しみ本線日本海』『舟唄』『雨の慕情』など、数々の昭和の名曲を生んだ作曲家・浜圭介。人々の心を潤し、心を震わせる、いくつもの傑作を世に送り続けた。浜圭介がヒットメーカーと呼ばれるまでには、人知れず多くの試練があった…。歌手を目指した青年が大作曲家に! その波乱の道のりと曲作りの秘密に迫る。
 
●歌に目覚めた少年
終戦直後、旧満州の収容所で生まれ、幼少期は青森、北海道といてつく町を転々とする。15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始め、人前で歌を披露。歌う喜びに目覚めた浜は、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京する。
 
●一度目の挫折
上京から2年、ようやくチャンスをつかみ、牧宏次の芸名でデビュー。しかし、鳴かず飛ばずで5年が過ぎ、歌を諦め青森に戻り、屋台で懸命に働いた。そんな中、見も知らぬ女性から聞いた彼女の惨めでわびしい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが『おんなの道』だった。
 
●再起から奈落の底へ
一度は捨てた歌手の道を再び歩み出し、『おんな道』は30万枚を超えるヒットに。しかし、歌の神様はまたしても浜を見放す。ヒットから遠ざかり、先の見えない日々に陥ってしまう。そして、浜はまたもや歌手を諦める。
 
●ヒットメーカーの誕生
60年代にカバーソングで一世を風靡(ふうび)した漣健児にアメリカ旅行に誘われる。その旅行で運命を変える出来事が! 何気なく手にしたギターからほとばしるようにメロディーが紡がれ、大ヒット曲「終着駅」が誕生する。後に妻となる奥村チヨが歌い、ミリオンセラーに!
 
●なかにし礼を救った曲
作曲家としてよみがえった浜は『そして、神戸』『雨』とヒットを連発。そこに、なかにし礼から詞が届く。作詞に行き詰まる中で生まれた『石狩挽歌』だった。不遇な幼少期を重ねた詞に、浜は壮大なメロディーをつけて大ヒット。なかにしに日本作詞大賞をもたらした。
 
●阿久悠との関係
順調に作曲家の道を歩み続けた浜に、スランプが訪れる。まったく曲が書けない日々。それを救ったのは『街の灯り』でタッグを組んだ阿久悠の詞だった。もがき苦しむ中で出合った『舟唄』に、必死で曲をつけた歌は、八代亜紀の声に乗り、空前のヒットとなる。
 
●スランプからの蘇生
翌年、阿久悠、八代亜紀と手掛けた『雨の慕情』は日本レコード大賞を獲得。そして、荒木とよひさの作詞で森昌子が歌った『哀しみ本線日本海』など、人々の心を捉える歌を連発。押しも押されぬヒットメーカーとなり、国民的作曲家へと羽ばたいていく。
 
●阿久から受け取った昭和歌謡のバトン
平成11年、浜圭介と阿久悠は『昭和最後の秋のこと』を発表。歌手も決めず、ヒットも狙わず、2人がただ書きたい曲だった。阿久の逝去後、浜がテレビで熱唱したある日、阿久の妻から一通の手紙が届き、そこにつづられていた言葉に浜は奮い立つ。試練多い浜がたどり着いた“浜圭介メロディー”、そして、作曲家人生とは?