番組表
閉じる
メニュー
スポーツ
トッププロ対決SP 前編・後編
女子ゴルフペアマッチ選手権
前編 2025年4月7日(月)よる9:00~10:54後編 2025年4月14日(月)よる9:00~10:54
エンタメ・音楽
小西化学工業株式会社 後篇
#99
ウェルビーイング、みつけた
2025年4月7日(月)よる8:54~9:00
旅・くらし
白線流し
#1
暦に願う
2025年4月6日(日)よる8:54~9:00
服を循環させる 三和沙友里(みわ・さゆり)28歳
未来につなぐエール
2025年4月6日(日)午後6:54~よる7:00
報道・ドキュメンタリー
「日本の山には知られざる素敵な食材がある!」全国の里山に入り可食植物を蒐集・利用法を提案する 日本草木研究所 古谷知華さん
#227
バトンタッチ SDGsはじめてます
2025年4月5日(土)よる6:30~6:54
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
GAME A
BS朝日がゲーム事業に参入!第一弾はインディーゲームイベントに参加!
地方創生DX「発信と体験」
BS朝日が取り組む地方創生DX:「発信」と「体験」“知る人ぞ知る地方の魅力”にフォーカス
ゼロ戦の設計者として、映画『風立ちぬ』のモデルにもなった堀越二郎。戦時中、開発に心血を注いだゼロ戦は、終戦時に1機も帰還することはなかった…。戦後、堀越は平和のために力を尽くし、日本初の旅客機「YS‐11」が完成。平和の翼を広げ、多くの人々を乗せ日本と世界を繋いだ。堀越らが設計したゼロ戦で培われ磨かれた日本の航空機技術は、今現在、多くの人々の豊かな暮らしや経済発展のために使われている。日本の航空史を振り返るとともに“人間・堀越二郎”の素顔に迫る。 ●運命的な年に生まれる ライト兄弟の飛行機が初めて飛んだ1903年に誕生した堀越は、少年誌の物語を通して飛行機に取りつかれる。東京帝国大学工学部航空学科に進み、首席で卒業。三菱内燃機製造に入社し、ヨーロッパ、アメリカで航空機の最先端技術を学んだ。 ●ゼロ戦の誕生 日本が戦争に突入すると、長距離の飛行、時速500km超の速度、敵機を撃ち落とすための重装備など、海軍からあまりに過酷な要請が…。堀越は仲間が諦める中、失敗と研究を重ね、ついに世界最高水準のゼロ戦を完成させる。しかし、日本は戦争が進むと米軍の最新鋭機の前に劣勢が明らかになり、ゼロ戦は特攻機に使用されることに。やがて敗戦。大空に飛び立ったゼロ戦はとうとう1機も戻って来なかった。 ●日本初の旅客機「YS‐11」 戦後、徐々に規制が解除され、ようやく国産航空機の製造が認められる。堀越ら軍用機に携わった一流の技術者が集結し、10年がかりでようやく運用を開始。戦争の道具でなく、平和のための飛行機は、40年以上にわたり世界の空を飛び回った。 ●飛行機に注いだ人生 堀越は、その後、大学で教壇に立ち、国内外での飛行機事故の原因究明に尽力するなど、後進の育成と航空業界の発展に力を注いだ。堀越の技術と魂は、「MRJ(三菱リージョナルジェット)」などに、今も脈々と受け継がれている。
前へ
ゼロ戦の設計者として、映画『風立ちぬ』のモデルにもなった堀越二郎。戦時中、開発に心血を注いだゼロ戦は、終戦時に1機も帰還することはなかった…。戦後、堀越は平和のために力を尽くし、日本初の旅客機「YS‐11」が完成。平和の翼を広げ、多くの人々を乗せ日本と世界を繋いだ。堀越らが設計したゼロ戦で培われ磨かれた日本の航空機技術は、今現在、多くの人々の豊かな暮らしや経済発展のために使われている。日本の航空史を振り返るとともに“人間・堀越二郎”の素顔に迫る。
●運命的な年に生まれる
ライト兄弟の飛行機が初めて飛んだ1903年に誕生した堀越は、少年誌の物語を通して飛行機に取りつかれる。東京帝国大学工学部航空学科に進み、首席で卒業。三菱内燃機製造に入社し、ヨーロッパ、アメリカで航空機の最先端技術を学んだ。
●ゼロ戦の誕生
日本が戦争に突入すると、長距離の飛行、時速500km超の速度、敵機を撃ち落とすための重装備など、海軍からあまりに過酷な要請が…。堀越は仲間が諦める中、失敗と研究を重ね、ついに世界最高水準のゼロ戦を完成させる。しかし、日本は戦争が進むと米軍の最新鋭機の前に劣勢が明らかになり、ゼロ戦は特攻機に使用されることに。やがて敗戦。大空に飛び立ったゼロ戦はとうとう1機も戻って来なかった。
●日本初の旅客機「YS‐11」
戦後、徐々に規制が解除され、ようやく国産航空機の製造が認められる。堀越ら軍用機に携わった一流の技術者が集結し、10年がかりでようやく運用を開始。戦争の道具でなく、平和のための飛行機は、40年以上にわたり世界の空を飛び回った。
●飛行機に注いだ人生
堀越は、その後、大学で教壇に立ち、国内外での飛行機事故の原因究明に尽力するなど、後進の育成と航空業界の発展に力を注いだ。堀越の技術と魂は、「MRJ(三菱リージョナルジェット)」などに、今も脈々と受け継がれている。