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#112

新幹線を創った男の意外な秘密!?
鉄道技術者・島秀雄

日本が世界に誇る鉄道技術の結晶「新幹線」。黒煙を吹き上げて疾走する「D51形蒸気機関車」。一見対照的に見える2つの列車は、実は同じ鉄道技術者・島秀雄が生みの親だった…。島秀雄の列車へのあつい思いは、戦前の「弾丸列車構想」の中心人物であった、父・安次郎から受け継いだものだった。
 
●会心作「D51形蒸気機関車」誕生秘話
東京帝国大学を卒業した若き技術者・島秀雄は、鉄道省に入省。蒸気機関車のかまたきを体験した後、設計・開発部門へ。初めて手掛けた「C53形」での経験を活かし、日本の鉄道史上最大車両数を誇る名機「D51形」を生み出した。
 
●「弾丸列車構想」の夢、それを阻んだもの
鉄道省に入省後、外遊団に参加して欧州の鉄道事情を見た島は、レール幅の広軌化・高速化の必要性を痛感する。新幹線のルーツと言うべき「弾丸列車構想」では、父・安次郎と共に実現に奔走するが、戦争の激化が夢を阻んだ。
 
●電車の未来を語る男
鉄道屋の誇りが、終戦の日にも鉄道を動かした。そして戦後復興の中、電車による長距離列車の実現へ向け研究開発を進めていたが、ある事故をきっかけに組織の限界を感じ、国鉄を去る。
 
●「新幹線」の夢実現、しかし…
「親父さんの弔い合戦をしよう」という国鉄総裁・十河信二の熱心な誘いに応じ、島は国鉄に復帰。新幹線計画の責任者となる。だが、ようやく迎えた開通の日、島の姿はホームになかった…。
 
島秀雄は、一日のスケジュールを定刻通りに実行する根っからの鉄道屋で、身の回りのものも“直角・水平・垂直”に並べていたという。情熱と献身的な努力で日本の近代化、経済復興に貢献した一人の技術者の生涯を通して、現在の日本の繁栄のルーツに迫る。